1995年に運用を開始し、小田急の通勤型車両で初めて全電気指令式のブレーキを採用した2000形。
それまでの車両とは異なり、最初から他形式との併結をしない前提があったため、ようやく通勤車両での採用が可能となりました。

運用開始時は2本だけだった2000形は、1998年に1本が増備され、3本体制となりました。
この3本が揃った翌年、2000形は未来の小田急で採用を予定している、ある技術の試験を行う車両として、重大な任務を背負うこととなります。

後に3000形で採用されることとなる、ブレーキ読み替え装置の試験でした。
当時の小田急では、通勤型車両で全電気指令式のブレーキを搭載しているのは2000形のみだったので、一時的にブレーキ読み替え装置を搭載し、試運転を行うこととなりました。

試運転に使われたのは2053Fで、新宿方の先頭車であるクハ2053に装置が搭載されました。
この際のクハ2053は、通常スカートの下部に付いている蓋を外し、電気連結器が設置されていました。
余談ですが、試運転が行われないタイミングで、短期間ながらこの姿で営業運転も行っています。

肝心の試運転については、ブレーキ読み替え装置を設置した2000形の新宿方に、電磁直通ブレーキの車両を連結して行われました。
この試運転の凄いところは、8両の2000形に4両の他形式を連結し、12両編成で行われたことです。

試運転が行われたのは多摩線で、新百合ヶ丘ではホームからはみ出して止まっていました。
事故や故障時を除くと、試運転とはいえ小田急最長の編成だったと思われます。

試運転は試せる形式全てと行われ、4000形、5000形、9000形、8000形、1000形との組み合わせが実現しました。
今振り返ると、凄い試運転だったと改めて思います。

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少し分かりにくいですが、試運転時の写真です。
後ろに別の形式が繋がり、12両編成となっています。

当時の目撃談では、12両編成での運転を行うための試験かと最初騒がれましたが、少しするとブレーキ読み替え装置の試験だという情報が流れてくるようになりました。
連日のように行われた試運転は、途中一時的にお休みを挟み、その後再開され、しばらく走った後に終わりました。
この試運転の結果は、3000形の開発に活かされたのでしょう。

異形式の併結が多い小田急において、ブレーキ方式を変更するために行われた、とても大切な試運転でした。
現在は電磁直通ブレーキの車両が少数派となりつつありますが、その裏にはこのような大変な苦労があったのです。

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