台車の外側に輝くブレーキディスク、小田急4000形と聞いてそれを思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。
4000形は、小田急で唯一パイオニア台車を採用した車両で、他形式との外見上の大きな違いとなっていました。

パイオニア台車とブレーキディスクがセットで考えられがちですが、新性能化後の4000形の台車は交換されていて、その時点でパイオニア台車は淘汰されていました。
なぜ4000形のパイオニア台車は交換されることになったのでしょうか。
これには、1973年に発生した脱線事故が影響しています。

1969年から大型車による8両の運転を開始した小田急では、4000形に1800形を連結して運行していました。
4年ほど問題なく運転されていましたが、1973年に連続して2回の脱線事故が発生し、その原因がパイオニア台車にあることが分かりました。

パイオニア台車には、特定の条件下で軸重抜けを起こすという欠陥があり、他形式との併結が避けられるようになったのです。
小田急の事故を受けて他社でも動きがあり、南海でも他形式との併結が禁止となった他、京王や東急でも淘汰されていきました。
脱線のリスクだけではなく、冷房装置の搭載が困難ということも理由だったようです。

他形式との併結運転が多い小田急において、この欠陥は使い勝手が悪く、新性能化と合わせた冷房化の都合もあり、台車を交換することになりました。

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1974年に4000形では中間車が増備されていますが、この時点で新たなパイオニア台車は製造せず、既存の台車を振り替える等して対応しました。
脱線事故の発生は、それぐらい4000形の歴史を変えるものだったのです。

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