1964年に運行を開始し、小田急が本格的に大型車を導入する流れを作った2600形。
編成替えや運用範囲の拡大を行いながら使われ、2000年に本格的な廃車が始まるまで、編成単位の廃車はありませんでした。

そんな2600形ですが、編成単位での廃車が発生する前に、数両単位での廃車が2回ありました。
8両固定編成化に伴い余剰となった車両の廃車と、事故によって生じた廃車がそれに該当します。
今回は、後者の事故廃車についてまとめたいと思います。

1991年10月11日、黒川から小田急永山の区間で、台風によって土砂崩れが発生しました。
場所は電車見橋の下で、隧道を抜けたところでした。
現在であれば、計画運休の後、入念な確認後に運転再開となっているような日でしょう。

その崩れた土砂に2671Fが突っ込み、3両が脱線してしまいました。
早期に現場を復旧させるため、小田原方の2両が現場で解体されるという事態となりました。

こうして2両を失った2671Fですが、当時2652Fと2654Fの2編成が車体修理未施工となっていたため、2654Fの小田原方2両を組み合わせ、車体修理が終わっている編成を優先的に使用することとなりました。
小田急でこのような組成は珍しく、車体修理の有無に加え、サイクルファンとラインデリアといった装備の違いが編成内で生じました。
側面の表示装置も異なっており、種別のみのデカデカ表示だった2671Fに対し、2654Fは種別と行先を表示するタイプとなっていました。

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余った2654Fの残り4両については、デハの3両のみ2651Fと組み合わせて8両化されています。
車体修理はこの際に実施され、2651Fとの差が埋められました。

その後、8両化に伴い余剰となる車両が生じたことから、旧2654Fの車両は旧2666Fの車両と入れ替えられました。
改番も行われているため、晩年は車両が変わっていることが分からない状態となっていました。

事故の時点で8両化の計画が既にあり、現場解体という選択肢にも繋がったのかもしれません。
8両化の計画が途中で中止になってしまう等、2600形の晩年は混乱が多かったように思います。

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