平成初期の小田急では、近郊区間の各停を6両から8両にすることで、輸送力の増強を図ってきました。
分割併合を伴う運用が多く存在した小田急では、長い固定編成は使いにくいとの考えから、8両についても4両を2本繋いだ編成が基本で、3000形の8両固定編成が登場するまではかなりの頻度で見ることができました。

そこで、今回は手元にある1999年の列車運行図表を眺めながら、当時の8両がどのように組まれていたのかを見ていきたいと思います。

まず、当時は4両を2本繋いだ編成と、8両固定編成の運用が分かれていました。
8両固定編成は全部で10本在籍しており、内訳は2600形が6本、1000形が1本、2000形が3本となっています。
運用はG11からG20となっており、編成数と同じ10運用が組まれていました。
これらの編成は、朝ラッシュのピーク時に集中して新宿に到着するようになっており、当時の苦しい状況が分かります。

続いて、4両を2本繋いだ8両の運用を見てみましょう。
こちらは111から142の24運用がありますが、編成ごとに一応運用が独立しているだけなので、111131から122142のようになっており、セットの運用となっています。
つまり、実質的には12運用ということになりますね。

この運用には、1000形、1000形のワイドドア車、9000形が使用されました。
当時の状況を思い出せば、使われていた編成数は簡単に判明し、9000形が8編成、1000形が10編成、1000形のワイドドア車が6編成ということになります。

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主力は1000形だったことになりますが、忘れてはいけない運用がまだあります。
少数ですが8000形にも8両用の運用があり、813822、814823の4運用が組まれていました。

まとめると、8両固定編成で10本、それ以外で14本分の8両運用があったということになります。
これだけ多くの4両が8両を組んで走っていた時代があったというのが、今となっては信じられませんね。