1968年に1次試作車が登場し、千代田線を代表する形式となった東京メトロの6000系。
2018年に全車が引退しましたが、現在も多くの車両がインドネシアで走っています。

その6000系の特徴の一つだったのが、今回取り上げる広幅貫通路です。
3次車までの編成は、一部を除きキノコ型の広い貫通路が採用されており、車内の見通しが良かったのです。
しかし、時代の流れはそれを良しとはせず、3次車で狭幅貫通路が増加した後、4次車からは一般的な狭幅貫通路となりました。

広幅貫通路で登場した車両についても、B修工事の際に貫通路を狭幅化する改造が行われますが、途中からは省略され、広幅のままで残る編成もありました。
昔ながらの姿で残る6000系が多数いる中、2003年に大韓民国である事件が起こります。

その事件とは、自殺志願者が地下鉄の車内でガソリンをまいて車両火災が発生、多くの犠牲者を出すこととなりました。
これ自体はかなり特殊な事例ではあるものの、日本でも鉄道車両の火災対策基準が強化される等の影響がありました。

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6000系については、2007年から再び狭幅貫通路への改造が行われるようになり、廃車となる一部の編成以外は全車が狭幅貫通路に改造されました。
直通相手である小田急においても、1000形の分割編成が4000形と交代する等の影響が出ています。

火災対策だけが目的ではないかもしれませんが、2003年の事件が大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。
東京メトロの公式発表でも、火災対策としての貫通扉の設置に関する記述があります。

このようにして消滅してしまった広幅貫通路ですが、インドネシアを走る車両には一部で残っているようで、貴重な姿をまだ見ることができるようです。
6000系の広幅貫通路といえば、通り抜ける風、騒がしい走行音を今でも思い出します。