1964年のデビューから1983年まで、他形式との併結運転を行わなかった小田急2600形。
併結運転が1983年に解禁されてからは、多くの形式と併結して走る姿を見ることができるようになり、一気に活躍の場が広がりました。

そんな2600形ですが、登場して間もない1966年に、2200系列との併結試験が行われていました。
これは将来的な8両での運転を想定したものでしたが、実現することはありませんでした。

小田急における8両での運転は、1964年から始まりました。
2600形が営業運転を開始したこの時期は、小田急の長編成化が段階的に進められていく時期だったのです。

試験は行ったものの、実現しなかった2600形と2200系列の併結運転ですが、なぜ実現しなかったのでしょうか。
理由は明らかになっていませんが、その後他形式との併結運転を行っていることを考えると、併結ができない致命的な問題があったとは考えにくいのです。

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そこで考えられるのが、6両と2両を繋ぐという運用上の課題です。
当時の小田急は多くの急行が分割併合を行っていました。
6両と2両の場合、6両は箱根登山線への乗り入れができず、2両は単独だと短すぎるという問題が生じます。

現実的に考えて、分割併合を伴う運用には充当できないということになりますが、例えば新宿と相模大野の間だけを走らせるような限定運用にした場合、そこまでして実施するメリットがなかったのではないでしょうか。

これが私が推測した、併結運転を見送った理由です。
真相はどのようなものだったのか、気になるところですね。

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