それまでの小田急の通勤型車両から大きく変化し、2002年に営業運転を開始した3000形。
初期車として6両が12本登場した後、マイナーチェンジを行った3次車が登場しました。

その3次車の中に、側面の床下全体にカバーを装着し、防音性を高めるための試験を行った3263Fがあります。
その異様な外見から、鉄道ファンからは変態カバーというあだ名が付けられてしまいました。

平成に入り、小田急では都心部の本格的な複々線化工事が始まりました。
まずは喜多見から和泉多摩川までの区間で工事が開始され、1994年には世田谷代田から喜多見の区間も着工しました。
しかし、1994年に小田急にとって困ったことが起きてしまうのです。

騒音や振動の問題で健康被害が出るとして、周辺住民が訴訟を起こしたのです。
そして、2001年の地裁では事業認可を取り消す判決が出され、世間を騒がせることとなりました。

地裁判決から約2年後、2003年の終わり頃に変態カバーは登場しました。
変態カバーの登場は騒音訴訟に関係していたといわれており、アピールの要素も多く含んでいたのでしょう。

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変態カバーが登場して少しした頃、高裁判決で原告適格が否定され、一審判決の一部が破棄されます。
その後、2006年に最高裁で原告の敗訴が確定し、騒音訴訟はようやく終わりました。

最高裁の判決が出る少し前、3263Fのカバーは電動車の台車付近のみに変更され、2008年には全面撤去されて現在に至ります。
時系列を見ていくと、変態カバーが騒音訴訟と密接に関係していた構図が浮かんできます。

騒音抑制の切り札として登場した変態カバーでしたが、その後は全密閉式主電動の採用によって、かなり騒音が抑えられるようになりました。
小田急は騒音対策を諦めたわけではなく、別の方法で騒音を抑える方針に切り替えたのです。

実際に小田急の車両は静かで、置き換えが進んだ現在では、うるさいと感じることはほとんどなくなりました。
鉄道ファンとしては爆音の良さというものも感じますが、それを許してくれる時代ではないのでしょうね。