1970年までに4両が8編成登場した小田急5000形は、急行の主役として活躍の場を広げていきました。
そして、1971年に製造された3次車から、小田急の通勤型車両としては初めてとなる量産冷房車となりました。

2400形での試験結果を受けて、小田急では集約分散式の冷房装置が採用されることとなり、CU-12A型が各車両に5台搭載されました。
屋根上は冷房装置が目立つようになりましたが、3次車ではベンチレーターも設置していたため、より一層賑やかな外見となっています。

3次車の登場後、それまでに登場した8編成についても冷房改造が行われました。
冷房装置は改良されたCU-12B型に変更され、3次車では設置されていたベンチレーターが省略されたことで、外見的な差異が生じています。
5000形の冷房化は1972年までに行われたため、非冷房車は数年間しか見られず、とても短い期間の姿だったことになります。

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順調に数を増やしつつあった5000形ですが、1972年からは営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線直通用の9000形が製造され、5000形の増備は中断されることとなります。
9000形は1974年までに88両が製造され、後に小田急で最大両数となる5000形は、在籍車両数で9000形に抜かれてしまったのです。

そのような経緯で増備が中断されていた5000形ですが、スカートの設置等が行われたことで、外見が変化しました。
12編成での活躍が続いていた5000形は、1976年から増備が再開されることとなり、5063F以降の編成が登場します。

次回は5000形の編成数が一気に増えていくこととなる、4次車の登場から書いていきたいと思います。

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