2001年に第1編成が製造されて以降大量に増備され、小田急の最大勢力となった3000形。
両数が多いことや、登場後に組み替えが行われたことでバリエーションが豊富な形式ですが、その中でも異色な存在として、以前は床下全面にスカートを装備した編成がありました。

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今回は防音カバーの試験車として3263Fが登場することとなった経緯や、その後の展開について書きたいと思います。

複々線化工事の騒音訴訟と防音対策

輸送力の限界に達しつつあった小田急では、平成になってから本格的に複々線化工事が進み始めました。
喜多見から和泉多摩川までの区間が最初に着工し、昔からの景色は急速に変化していくこととなります。
そして、1994年には世田谷代田から喜多見までの区間も着工しますが、ここで小田急を悩ませることになる事態が発生します。
騒音や振動で健康被害が出るとして、周辺住民が訴訟を起こしたのです。

複々線化工事はその後も進められていきますが、2001年に地裁で判決が出され、原告住民側が勝訴、事業認可が取り消されてしまいます。
当然小田急はこれを不服として控訴、その後和解が成立していますが、訴訟は長期化することとなります。

判決の翌年、2002年8月に小田急では訴訟に関連したと思われる動きがありました。
当時3000形の最新編成であった3254Fの中間車の側面に、スカートが取り付けられたのです。
スカートはデハ3404とデハ3504に取り付けられ、数日間の試運転を行った後に撤去されました。

3263Fの登場と繰り返される試運転

3254Fの試運転から1年後、側面全体に防音カバーを取り付けた3263Fが登場しました。
床下全体を覆った姿にはかなりのインパクトがあり、その異様な外見に対して誰かが変態カバーと名付けたところ、鉄道ファン全体に広がっていきました。

2003年の終わりに小田急へと入線した3263Fは、すぐには営業運転に投入されず、試運転を繰り返す日々が始まります。
通過する際はとても静かで、まだうるさい車両が多かった当時としては、その効果は絶大でした。

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試運転では騒音の測定や他形式との比較が行われ、防音効果の確認が行われていました。

営業運転の開始とその後の変化

試運転を繰り返した3263Fは、2004年2月に営業運転を開始しました。
営業運転の開始後は他の3000形とほぼ同じように使われ、箱根登山線への乗り入れも行っています。
他形式との併結も日常的に見られ、通過する際には3263Fと他の車両で騒音の度合いが明らかに異なり、防音効果を証明していました。

その後も時折営業運転から離脱して試運転を行い、様々な観点から防音効果が検証されていたようです。
大量に増備されたことで見かける機会が増えた3000形でしたが、その中でも3263Fはかなり目立つ存在でした。

特殊な車両として人気があった3263Fでしたが、2006年2月に防音カバーの大部分が撤去され、電動台車付近にのみ取り付けられた状態となりました。

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大部分のカバーを外したことで見た目のインパクトはだいぶ弱くなり、少し違う3000形というイメージになりました。

防音カバーの撤去と全密閉式主電動機の採用

電動台車付近以外の防音カバーが外された後、3265Fに全密閉式主電動機が搭載されました。
比較の試験が行われた結果、保守性等の観点で弊害もある防音カバーは正式採用が見送られることとなり、2008年7月に防音カバーは完全に撤去されました。

技術の進歩は目覚ましく、防音カバーを取り付けた3000形が増えることはありませんでした。
防音対策は全密閉式主電動機の採用を中心として進められ、その他の機器の低騒音化も進められることとなりました。
小田急はその後も騒音にかなり気を使っており、静かな車両の割合が年々増加しています。

おわりに

正式に採用されることはなかった3263Fの防音カバー。
しかし、車両の低騒音化を進めた功績は、あまりにも大きいものだったのではないでしょうか。
4000形、5000形と進化した小田急の通勤型車両はとても静かで、3263Fでの試験結果が間接的に活かされています。