小田急初の高性能車として、1954年に登場した2200形。
狭義では18両が製造された形式のことを指しますが、広義では2200形、2220形、2300形、2320形の4形式をまとめたグループを指すことが多く、今回の記事ではこれらを2200系列として取り上げます。

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登場当初は各形式ごとに特色がありましたが、晩年は全編成が2両の全電動車となっており、運用も2200系列としてまとめられていました。
今回は、晩年の編成や運用がどのようになっていたのかをまとめていきます。

4形式46両が在籍した2200系列

2200形、2220形、2300形、2320形の4形式は、後に全てが2両編成に整理され、2200系列としてまとめて扱われました。
細部は各形式ごとに異なりますが、全電動車方式で75kWの出力の主電動機を搭載していることが共通点です。

2200形は1954年に登場した小田急初の高性能車で、前面2枚窓の前面が特徴です。
登場当初から2両編成で、9編成が在籍しました。
最終編成となる2217Fのみが前面に貫通扉を備えた3枚窓となっていますが、これは2220形の登場後に増備されたためで、2両編成であることから2200形とされたものです。

2220形は1958年に登場した4両編成の車両で、前面は貫通扉を備えた3枚窓となっています。
しかし、2400形の増備が進むと増結用の2両編成が不足してきたため、4編成全てが2両編成に改造され、8編成となりました。

2300形はSEが登場するまでの繋ぎのロマンスカーとして、1955年に4両が1編成だけ登場しました。
SEが登場した後の1959年には格下げされ、準特急用のセミクロスシート車となりました。
さらに、1963年には二度目の格下げが行われ、2両編成の通勤型車両へと改造されています。
他の形式とは車幅が異なることや、側面の扉間に4枚の小窓が並ぶことが特徴で、連結すると若干大きな車体が目立っていました。

2320形は、2300形が格下げされるタイミングで登場した準特急用の車両で、1959年に4両が2編成登場しました。
2300形と同様に1963年に格下げが行われ、2両編成の通勤型車両となり、4編成となりました。
側面の窓が不揃いであることが特徴で、似ている2220形との識別点となっています。

2200系列の晩年の編成

それぞれが別々の形式として登場した2200系列は、その後の改造によって全電動車の2両に整理され、全23編成となりました。
2200形同士で組んだ4両や6両のほか、2400形と組み合わせた6両での活躍も見られました。

小田急全体での長編成化が進むと、増結用としての役割が徐々に不要となり、晩年は2200系列だけで編成を組むようになりました。
編成はある程度固定されており、基本のパターンは以下のとおりとなっています。

2221-2222+2201-2202+2223-2224
2225-2226+2203-2204+2227-2228
2229-2230+2205-2206+2231-2232
2233-2234+2207-2208+2235-2236
2301-2302+2209-2210+2303-2304
2321-2322+2215-2216+2323-2324
2325-2326+2217-2218+2327-2328
2211-2212+2213-2214

このように、2220形、2300形、2320形で2200形を挟む編成となっており、6両が7本、4両が1本としてまとめられていました。
2200形の晩年の写真に、2211Fと2213Fばかりが写っているのは、このような編成とされていたためです。

このようにされたのには理由があり、車両によって電気連結器や列車無線の有無があり、ない車両が中間に封じ込められるようにされていました。
2211Fと2213Fのみが4両で編成を組みましたが、他の6両の編成が検査入場した際には編成が崩され、どちらかの編成が6両の運用に入る、予備車のような位置付けとなっています。

2200系列の晩年の運用

1981年の時点で、2200系列は編成を組んだ状態での運用となっていました。
6両の7編成はC1からC7までの7運用があり、4両は2400形と共通運用の35から38の4運用となっています。

6両の運用には、各停以外にも急行での走行機会があり、他形式と連結した10両での運転も見られました。
2400形の運用に2200形が入ると、2200系列のみでの10両が見られますが、そうなることは稀だったようです。
ちなみに、廃車が開始された後の引退間際には、2200系列のみの10両が比較的見られるようになっています。

4両の運用は2400形と共通ですが、2400形のみとなっている11から32の運用とは分かれており、多摩線を走る運用でした。2211Fと2213Fの写真が多摩線で撮られたものばかりなのは、このような運用となっていたためです。
この編成が予備車としてC1からC7までの運用に充当される場合は、2400形だけで運用されていたことになります。

例外的な使われ方は当然あったと思いますが、基本の運用としてはこのように分けられていました。
一部の編成が廃車になった後は、廃車が発生する度に編成替えが行われており、短期間だけの様々な編成が見られました。

おわりに

晩年は編成内に大量の中間車が入る編成としてまとめられた2200系列。
1980年代の時点で、小田急には2両の付属編成が不要な状態となっていたことが分かりますね。
小田急では2両として活用される機会がほとんどありませんでしたが、譲渡先の富士急行や新潟交通では、2両という短編成が重宝されることとなり、幸せな余生を送る編成もありました。