多摩川橋梁を渡って東京都から神奈川県に入り、最初の地上駅となるのが向ヶ丘遊園駅です。
閉園してしまい現存しませんが、以前は小田急系の遊園地があり、それが駅名の由来となっています。

遊園地がなくなった後も、向ヶ丘遊園の駅名は変更されていませんが、それはなぜなのでしょうか。

向ヶ丘遊園の閉園後も駅名に残る名称

向ヶ丘遊園駅は、小田急の開業と同時の1927年4月1日に開業しました。
開業当時の駅名は稲田登戸でしたが、向ヶ丘遊園も小田急の開業と同時に開園しています。

当時は入園料が無料で、野球場等がある公園に近い施設だったようです。
その後、1952年に有料化され、自然環境豊かな遊園地として親しまれました。

向ヶ丘遊園の最寄り駅であった稲田登戸駅については、1955年4月1日に向ヶ丘遊園駅へと改称され、遊園地の知名度向上に寄与することとなります。

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レジャーの多様化が進む中、花と緑の遊園地をコンセプトにして生き残りを模索した向ヶ丘遊園でしたが、収益性の悪化を止めることはできず、2002年3月31日をもって閉園しました。
閉園後も駅名は向ヶ丘遊園のままとなっており、遊園地の最寄り駅であったことを今に伝えています。

なぜ向ヶ丘遊園の駅名は変更されないのか

2002年の閉園から約19年が経つ今も、駅名は向ヶ丘遊園のままとなっています。
駅名が示す施設は遠い昔になくなっているのに、なぜ駅名はそのままなのでしょうか。

変更しない明確な理由は発表されていませんが、駅名を変更するメリットがないこと、これが理由であると考えられます。
向ヶ丘遊園という名称は、利用者や地元の方に定着しており、あえて変更する必要がないといえます。
他に適当な駅名があれば違うのでしょうが、開業時の駅名に戻すと登戸駅が隣にあるために紛らわしく、他に小田急としてメリットがある駅名も特にありません。

駅名を変更するには、多額のコストがかかります。
自動改札機や券売機、車両の表示、駅の案内、関係するものを全て改修、交換しなければならず、それは駅名を変更したい関係者が負担するのが原則です。
小田急が費用を負担して駅名を変更しても、利用者や収入が増えるわけではありません。
利用者にとっても、地元の方々にとっても、小田急にとっても、駅名を変更するメリットが特にないことから、閉園後も駅名は向ヶ丘遊園のままとなっているのでしょう。

おわりに

駅と遊園地を結ぶモノレールや、園内にあった鉄道資料館、それらを思い出すと懐かしい気持ちになります。
遊園地はなくなってしまいましたが、駅名として名残があるぐらいのほうが、時々昔を思い出すことができて良いのかもしれませんね。