貫通扉の上にライトが二つ、小田急顔として親しまれたこの前面デザインは、5000形まで採用され続けました。
二つある白熱灯は、通常片方だけが点灯しており、両方が点灯する際は減光状態になる仕様でした。

1982年まで5000形は製造されますが、あまり明るくはないこの前照灯を、小田急はなぜ採用し続けたのでしょうか。

日本の鉄道車両で初めてシールドビームを採用した小田急

5000形まで続く前照灯を初めて採用した2400形が登場するよりも先に、小田急は3000形(SE)でシールドビームを採用しました。
シールドビームは白熱灯と比較して輝度を確保できるため、少し前まで多くの車両で採用されていたものです。
3000形はシールドビームを日本で初めて採用した鉄道車両で、高速走行時の保安度向上に寄与していました。

シールドビームは1970年頃に多くの鉄道会社で採用されるようになり、小田急でも1972年に登場した9000形が通勤車両としては初めて採用、一旦白熱灯を採用する流れは途絶えました。
営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への直通用というのが関係しているのでしょう。
しかし、9000形の登場後に増備された5000形の編成は引き続き白熱灯を採用し、6両の増備に移行していくこととなります。

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5000形は1982年まで製造され、最後まで白熱灯を採用し続けることとなりました。
次に登場する8000形はシールドビームとされたため、5000形が小田急で最後に白熱灯を採用した車両となっています。

小田急はなぜ白熱灯を採用し続けたのか

1982年まで白熱灯を採用する車両を製造した小田急ですが、この時期の大手の鉄道会社としては珍しい存在でした。
国鉄の103系は1970年代の前半にシールドビームを採用していますし、東急、京王、東武等も早くから通勤型車両にシールドビームを採用しています。

小田急が白熱灯を採用し続けた理由は定かではありませんが、部品や機器を極力統一するという思想が影響したのかもしれません。
多くの車両が同じ前照灯であれば、球切れへの対応は容易ですし、予備の電球も少なくて良いことになります。
一方で、シールドビームのほうがコスト面で優位な面もあり、考えれば考えるほど謎は深まります。

もう一つ考えられる理由としては、ライトケースの共通化です。
レンズの色の違いはあるものの、2400形以降の車両は同じライトケースを使用しており、後から交換された車両も同様でした。
再利用も一部にあったようですが、ここにも小田急の統一思想があったようです。

いずれにしても、小田急が白熱灯を採用し続けた理由はよく分かりません。
あまり深い理由はなく、デザイン上の都合だった可能性もありますね。

おわりに

5000形は6両の一部が晩年にシールドビーム化されますが、お世辞にもデザインとしては良いものではありませんでした。
白熱灯の5000形は2012年まで走っており、大手私鉄でそこまで残ったことも驚異的でした。