近年の車両では珍しくなりましたが、昔の車両には車番が表記されている位置が異なる編成がありました。
小田急にもそのような編成が存在し、いくつかの編成で前面の車番の位置が異なっています。

この差異は何が原因で発生するのかが気になって調べてみたところ、ある共通点に気付かされました。

車番が表記されている位置が異なる編成

車番が表記されている位置が異なる編成は、小田急顔の車両に存在していました。
今回ご紹介するのは、明確に位置が異なっていると分かる編成のみですが、もしかしたら僅かな違いであれば他にもあるのかもしれません。

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まずは4000形の4051Fです。
若干ですが、車番の間隔が開いており、他の編成とは異なっていました。
改番前は間隔が開いていないように見えますが、何らかの事情でこうなってしまったようです。

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続いては5000形の5065Fです。
こちらは4000形以上に車番の間隔が開いており、遠目にも分かるぐらいの違いがありました。
なぜこんなに開いてしまったのでしょうか。

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5000形には、6両にも異端車がありました。
5256Fがそれに該当しますが、なぜか車番の位置が通常より高く、前面のバランスが崩れています。

このように、小田急顔の車両には3編成の異端車が存在していましたが、新製時から異なっていたのは5000形に集中しており、何らかの共通点がないかを探してみることにしました。
製造された時期も近いため、何かあるのかもしれません。

5000形で車番が表記されている位置が異なる編成の共通点

5000形の2編成に何か共通点はないのか、少し調べてみました。

まずは製造時期ですが、5065Fが1977年11月、1979年6月の竣功となっており、その差は約1年半となっています。
比較的製造時期としては近いといえます。

そして、もう一つこの2編成には共通点がありました。
製造メーカーがどちらも日本車輌製造なのです。
日本車輌製造で製造された編成は他にもありますが、この共通点は興味深いところです。

細かい部分を統一することへの意識が低かったのか、ミスが発生しやすい事情があったのか等は分かりませんが、同じ製造メーカーでこのようなケースが近い時期に重なっているということは、何らかの事情があったのかもしれませんね。
4000形の4051Fは東急車輛製造で改造されているため、完全に謎が解けたわけではありませんが、5000形については製造メーカーに起因している面がありそうです。

おわりに

意図的に特定の編成だけ車番が表記されている位置を変えるとは考えにくいため、何らかの誤りによって生じたと思われるこれらのケース。
5256Fのケースは明らかにおかしいため、そのままとされたのもある意味不思議ですね。