小田急といえばロマンスカーというぐらい、現在はブランドイメージが定着していますが、その基礎となった車両といえば、1957年に登場した3000形(SE)でしょう。

20190527_02

初代のロマンスカーのように思われる3000形ですが、実際にはそれ以前にも3形式のロマンスカーが登場しています。
今回はそれらの3形式にスポットを当て、どんな車両だったのかを紹介したいと思います。

初代ロマンスカーとなった1910形

1949年に登場した3両編成の車両で、通勤型として登場した1900形を2扉のセミクロスシートとした車両です。
大東急の後に登場した初の新造車両で、ロマンスカーという名称が認知されるきっかけとなりました。

1900形と1910形は、戦後の物資不足の時代に登場した運輸省規格型電車と呼ばれる車両で、規格化によって生産を効率化しました。
初代ロマンスカーとなった1910形は、規格型車両ではあるものの、特別に2扉のセミクロスシートで製造されており、当時としては珍しい車両でした。
中間車は戦争によって被災した省電の台枠を流用していたため、先頭車より車体幅が広いことが特徴です。

車両の外見は1900形とほぼ同様でしたが、カラーリングは黄色と紺色の2色とされ、通勤型車両との差別化が図られました。
中間車には喫茶カウンターやトイレが設けられ、走る喫茶室が始まったのもこの車両からです。

1950年に1910形から2000形に形式が変更されますが、1700形の登場後は徐々に特急での運用が減少し、1900形に編入されて3扉の通勤型車両に格下げ改造されています。
その後は1900形の他の編成と同様に使われ、最終的には4000形に機器を提供して廃車となりました。

特急専用車両として登場した1700形

1910形に続いて登場した車両で、1951年に2編成が登場しました。
転換クロスシートを採用した本格的な特急型車両となり、幅の広い側窓や充実した喫茶カウンターが設けられ、小田急が本格的なロマンスカーの時代へと突入していくきっかけとなりました。

台枠や機器は流用されたものが使用されましたが、車両そのものは特急にふさわしい仕上がりとなっており、側扉の数も最小限とされています。
車体の幅が台枠の関係で広く、さらに中間車は20mの車体長となっていました。

1952年には3編成目が登場しますが、この編成は完全な新造車両とされ、前面が2枚窓とされる等の変更が行われました。
第3編成の登場によって、特急は1700形だけで運転されるようになり、3000形の登場まで第一線での活躍が続きました。

3000形の登場後、1957年から格下げ改造が行われ、中間車を1両追加して4両編成の通勤型車両に改造されます。
改造後は1900形と同様の3扉となりましたが、幅の広い側窓にロマンスカーの面影が残っていました。
通勤型車両となってからは1900形と同様に扱われ、4000形に機器を提供して廃車となりました。

格下げを前提として登場した2300形

1955年に登場した車両で、ロマンスカーとしては初の高性能車となりました。
しかし、2300形が登場する時点で3000形の開発が既にスタートしており、登場当初からそれまでのつなぎとしてのロマンスカーでした。

2300形は4両編成とされましたが、これは小田急で初の高性能車となった2200形と共通の設計とされたためです。
前面は1700形の第3編成に続き2枚窓とされますが、側面は小さな窓が並ぶスタイルとされています。
車内の基本的な仕様は1700形と同様ですが、小田急では初となるリクライニングシートが採用されました。

ロマンスカーとして使われた期間は短く、4年後の1959年には2扉のセミクロスシートに改造され、2320形と合わせた3編成で準特急用の車両となりました。
しかし、準特急としての活躍も長くは続かず、1963年には3扉のロングシートに改造され、2200形と同様の通勤型車両に格下げされています。

格下げ後は2両編成となりましたが、2200形より車体の幅が広いことや、側扉の間に窓が四つあるといった違いがあり、ロマンスカーだったことを物語っていました。
2200系列の一員としてその後は長く活躍し、1982年に廃車となりました。

おわりに

3000形が登場する前に活躍した3形式は、ロマンスカーとして活躍した期間は短かったものの、その後の車両に繋がる多大な功績を残しました。
小田急を象徴する存在にまで育ったロマンスカーは、これからも時代に合わせて進化し続けていくことでしょう。