代々木八幡駅のホームが10両の停車に対応したことで、2019年に都心部でも10両の各駅停車が走るようになった小田急。
優等列車と各駅停車に同一の編成を充当することが可能となり、車両の運用に柔軟性が生まれました。

小田急にとって念願であった各駅停車の10両化は、いつ頃から構想されていたのでしょうか。

8両の状態が長く続いた都心部の各駅停車

6両が最長の編成だった都心部の各駅停車は、1988年3月22日のダイヤ改正で8両化が行われました。
当初は限られた列車のみが8両化されましたが、車両の増備や組み替えが進められ、8両で運転される各駅停車は徐々に増えていきました。

都心部はホームを延長することが困難な駅が多く、8両が停車できるようにするのも苦労があったようです。
その一方で、登戸から小田原寄りの駅は、1978年に営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線との直通運転が始まった段階で、本厚木までの各駅が10両に対応しており、都心部と郊外でホームの長さが異なる状態となってしまいました。

支線は4両や6両で運転し、各駅停車は6両や8両、優等列車は10両を中心とする状態が平成になった頃の基本で、両数のバリエーションはかなり多かったといえます。
運用上の制限も多く、様々な苦労があったことでしょう。

各駅停車の10両化はいつ頃から構想されていたのか

都心部の各駅停車を10両化することを、小田急はいつ頃から構想していたのでしょうか。
構想が具体化した時期はさすがに分からないものの、かなり早くから構想自体は存在していたものと考えられます。

都心部の駅で各駅停車の10両化を考慮して、最初にホームが延長されたのは、喜多見と狛江の2駅でした。
複々線化に伴って高架化が行われた際に、10両分のホームを備える駅とされたのです。
この時点で和泉多摩川も将来的に10両分とする想定はされていましたが、暫定的に8両分での高架化となりました。

つまり、複々線化工事が本格的に始まった頃の時点で、将来的に10両の各駅停車を走らせることになるかもしれないと、想定していたと考えられるのです。
その後に複々線化されていく区間でも、ホームは各駅で10両分が用意されており、少しずつ将来の準備は進められていたといえるでしょう。

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そして、各駅停車の8両化から31年後、ついに都心部でも10両の各駅停車が走るようになりました。
新宿から新松田まで通して10両で走れることとなり、運用の自由度は格段に向上したのです。

おわりに

まだ限られた本数ではあるものの、都心部でも10両の各駅停車が走るようになった小田急。
8両の各駅停車が消滅する方向となるのか、今後の動きも含めて気になるところです。