最終的に6両が6編成に整理され、現在は1754Fの1編成のみが残っている小田急1000形のワイドドア車。
元々は4両が6編成、6両が2編成で、4両は主に他の4両と組んだ8両で使われていました。

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8両の新宿寄りが定位置となっていたワイドドア車の4両ですが、4両単独で使われる機会はあったのでしょうか。

8両の新宿寄りが定位置だった4両のワイドドア車

1991年に2編成、1992年に4編成が増備されたワイドドア車の4両は、ノーマルドア車の4両と組んだ8両で使われることが定番でした。
登場当初は、6両のワイドドア車と併結し、10両全車がワイドドア車という列車も存在しましたが、そのようなインパクトのある使われ方は早々に消滅してしまいました。



小田原方にノーマルドアの4両、新宿方にワイドドア車の4両を配置した8両は、各駅停車を中心として使われ、基本的に逆のパターンで繋いだ組成はありませんでした。
このように組成した理由は、新宿方のほうが混雑が激しいためと考えられ、一時期はワイドドア車のみで組んだ8両も見ることができましたが、あまり長続きせずに終わっています。

当時は営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への乗り入れを1000形が担っており、乗り入れない4両の編成は主に8両を組んで使われていました。
多くの4両同士がペアを組んで8両となっていましたが、その中にワイドドア車も混ざっていたことになります。
ワイドドア車は座席数が少なかったため、扉の開口幅を縮小する改造を行う前は特に敬遠され、小田原方を選ぶ乗客が少なからずいたように記憶しています。

ワイドドア車が4両単独で走る機会はあったのか

登場してから少し経ち、8両の新宿方で先頭に立つことが基本となったワイドドア車の4両ですが、そうなってからも、違う組成パターンを頻繁にではないものの見ることができました。
これは8両を組む際の相方が定期検査で運用を外れた場合等に見られ、他形式の6両と組んだ10両で走る姿が見られました。

当時は分割併合がまだ盛んに行われており、10両が途中駅から4両と6両に分かれる機会が多くありました。
現在では希少となった4両が単独で走る機会も多くあり、江ノ島線等でもその姿を見ることができました。
江ノ島線で走る場合は、相模大野で切り離された後ろ4両が各駅停車となるパターンが多く、ただでさえ短い編成で座席数も少ないことから、乗客にとっては当たると運が悪い編成だったことでしょう。

このように、単独となった際の影響が大きいということも、8両での運用を中心にしていた理由なのかもしれません。
ワイドドア車の4両が、8両以外で走る姿は比較的珍しく、趣味的には面白かったことを記憶しています。

おわりに

8両の新宿方で先頭に立つ姿が強く印象に残っている4両のワイドドア車。
そんな当たり前だった立ち位置は、6両への組み替えによって過去のものとなりました。