小田急線上からLSEが消え、少しずつ走る姿の記憶が薄れていくのを感じます。2007年に旧塗装が復活してからというもの、意図して沢山の記録を残してきました。そんなLSEの記録の中で、とても悲しい時期が存在しているのです。復活した2007年のことなのですが、小田原方の愛称 ...
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2018年11月
衝撃的すぎたクヤ31形の登場
テクノインスペクターという愛称が付けられ、検測車として大活躍する小田急のクヤ31形。2003年に竣工した際は、まだ装飾がされておらず、なんとも地味な姿での登場となりました。小田急に3000形をベースにした検測車が登場する、そんな噂が登場の少し前から流れていました。3 ...
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小田急のお家芸だった分割併合列車
現在は全線で10両が走り回るようになった小田急線。かつては途中駅での分割併合が多く行われており、前の6両と後ろの4両で行先が異なる列車がありました。時期によって分割の中心となる駅は変化しましたが、江ノ島線が絡む列車は相模大野で行われています。小田原線も相模大 ...
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走ルンですの歴史は209系から始まった
重量半分、価格半分、寿命半分を達成目標として登場したJR東日本の209系。それまでとは大きく異なる設計コンセプトから、好き嫌いが分かれる形式といえるでしょう。走ルンですという俗称が示すとおり、とりあえず走るよねといったイメージが強くあります。209系の量産車は199 ...
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小田急5000形は5065Fがラスト予定だったという噂
2012年に全編成が運用から離脱した小田急5000形。最後まで残ったのは5063Fでしたが、実際は違う予定だったという噂があります。それは5065Fが最後まで残る予定だったというもので、人気の高さや10連でのさよなら運転に抜擢されたことからも、納得感のあるものです。噂によれ ...
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小田急で組成変更がない形式は珍しいという事実
小田急といえば、異形式の併結こそあるものの、組成変更はそこまで多くない印象があるのではないでしょうか。しかし、意外と多いのが事実であり、登場時の組成を維持する形式の方が少ないのです。20mの大型車で見てみることにしましょう。2600形は5連で登場し、後に6連化、晩 ...
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東京メトロ6000系による2005年のドラゴン号
最終運行が大混乱になってしまった東京メトロの6000系。残念な結果ではありますが、このようなことが続く限り、こういったイベントは減っていくだけなのだろうと思います。さて、ブログ用にと写真を眺めていたら、2005年8月13日に運転されたドラゴン号が見つかりました。この ...
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小田急9000形 9407Fの廃車回送
2006年6月13日のことです。この日は、小田急9000形で最後まで残った2編成の廃車回送が行われ、10両で走る最後の姿が見られました。喜多見から10両で出発した9000形は、まず海老名に向かい、ここで9001Fと9407Fを分割をします。9001Fはそのまま海老名に残り、9407Fだけが今度 ...
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小田急の各停が新松田まで走っていた頃
小田急で通勤型車両の大量置き換えが始まった頃、新松田まで走る各停が多く存在していました。各停は本厚木までというのが基本なのですが、この時期は1時間に2本程度が新松田まで走っていた印象です。当時の時刻表でも掘り出せばもっと断言できるのですが、すぐに出てこない ...
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3000形から消えていった小田急らしさとは
大量に製造され、小田急線内のどこにいても見かける3000形。それまでの車両と比べると、集中式の冷房装置や戸袋窓の廃止が目立ち、とにかく小田急らしさが失われた形式という印象があります。その中でも、私が特に小田急らしさが失われたと感じるのが、登場後に行われた前面 ...
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