ロマンスカーの存在が有名な小田急ですが、それを陰で支えるのが通勤型車両です。
現在はステンレス車体の車両が中心となり、整理が進んだことで種類もだいぶ少なくなりました。

今回の記事では、昔はどうだったのかを振り返ってみることとし、約40年前となる1980年にスポットを当ててみようと思います。

1980年の小田急に在籍していた通勤型車両

今から約40年前の1980年、小田急では車両の冷房化と輸送力の増強が進められていました。
冷房があることが当たり前の現代からは想像もできませんが、まだまだ非冷房の車両も多く、増え続ける利用者に対応するため編成の増強も急務でした。

そんな1980年の時点で、小田急に在籍していた通勤型車両は以下のとおりとなっており、2022年の今日現在では1両も残っていません。

1800形:6両(1.0%)
2200形:18両(2.9%)
2300形:4両(0.7%)
2220形:16両(2.6%)
2320形:8両(1.3%)
2400形:116両(18.9%)
2600形:132両(21.5%)
4000形:92両(15.0%)
5000形:132両(21.5%)
9000形:90両(14.7%)

1980年当時は10形式もの通勤型車両が活躍していましたが、多くは同じような前面デザイン、いわゆる小田急顔の車両ばかりで、一般の利用者からは同じように見えていたことでしょう。

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増備されていた車両は5000形の6両で、最終的に180両まで増えることとなりますが、1980年時点ではまだ132両であり、2600形の両数と並んだところでした。
形式数としては多いものの、少数派の形式が乱立している状況であり、2200形から2320形までの4形式は、運用上同一形式として扱われていました。

1980年頃の通勤型車両の動き

この頃の小田急において、通勤型車両にはどのような動きがあったのでしょうか。
輸送力の増強をしつつ、車両の冷房化も進めなくてはいけない、基本的にはそんな時代でした。

当時廃車が進められていたのは、大きい車体が幸いして長生きをしていた1800形で、5000形の6両が次々に増備されていました。
5000形の増備もいよいよ後半戦といった状況で、同時に進められていた2600形の冷房化も、いよいよ終わろうとしていた頃です。

1980年代、次なる置き換えのターゲットは2200系列へと移り、車両の増備は8000形へと移行、車両の大型化と冷房車への交代が急ピッチで進められていくことになります。
こうして昭和から平成に時代が変わる頃、小田急は冷房化率100%を達成し、車両も全て大型車に統一されました。
比較的車両がごちゃごちゃしていた最後の時期が、1980年頃だったといえそうです。

おわりに

約40年も経過すると、当時の車両が1両も走っていないというようなことが起こります。
今から40年後の小田急は、どのような状況になっているのでしょうかね。