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2019年07月

1969年に登場し、小田急顔を持つ最後の形式となった5000形。途中で9000形の製造を挟み、4両の製造終了後に6両が集中的に製造されました。全180両が製造された5000形は、各停から急行まで幅広く活躍し、全編成のリニューアルも行われていました。しかし、2600形、4000形、9000 ... もっと読む
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小田急初の高性能車として、1954年に登場した2200形。2220形、2300形、2320形の4形式をまとめて2200系列と呼ぶことも多いですが、今回は形式としての2200形を取り上げます。2200形は2両で組まれており、9編成18両が製造されました。最終編成となる2217Fのみが貫通型の前面と ... もっと読む
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1982年に登場し、最近はいよいよ廃車の噂も聞こえるようになってきた小田急の8000形。最近はなくなりましたが、登場から数多くの特別装飾が行われた形式です。最初の装飾は1984年のことで、車体色を白とし、オレンジレッド、イエロー、マルーンの3色を階段状に配したものでし ... もっと読む
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小田急最多の両数を誇る3000形の中で、最も印象に残る編成と聞かれれば、多くの方が3263Fと答えるのではないでしょうか。床下全体を防音カバーで覆ったその姿は、取り外された現在でも強く印象に残っています。3263Fは2003年の後半に姿を見せました。しばらく試運転が行われ ... もっと読む
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小田急のLSEが定期運行を終えてから、早くも1年が経過しました。時間はあっという間に過ぎ、次の廃車候補が気になるようになるあたり、鉄という趣味は忙しいものだと痛感します。話をLSEに戻しましょう。LSEの集電装置は、晩年シングルアーム式パンタグラフとなっていました ... もっと読む
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2002年に多摩急行が登場し、東京メトロ千代田線と密接な関係となった小田急の多摩線。それまで線内折り返しの列車ばかりだった路線に、東京メトロの車両が行き交うようになりました。小田急と東京メトロだけで行われていた直通運転は、2016年にJR東日本を加えた三社直通に発 ... もっと読む
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新ホームに切り替えられ、雰囲気が変わった小田急の代々木八幡。小田急の開業時からある駅で、東京メトロ千代田線の開業時に上下線の間隔が広がりました。この代々木八幡、1972年10月20日から1978年3月30日まで、小田急と千代田線の乗換駅となっていた時期がありました。千代 ... もっと読む
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全編成がリニューアルされ、幕からLEDに表示器が変更された小田急8000形。初期は3色のものが採用されましたが、途中からフルカラーのものに切り替えられました。結果的に多くの編成がフルカラーのLED表示になっていますが、当初はフルカラーのものにも2種類が存在していまし ... もっと読む
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JR東日本の東海道本線や、江ノ島電鉄との乗り換え駅となっている小田急の藤沢。小田急で唯一スイッチバックをしており、下ってきた電車は折り返して終点の片瀬江ノ島に向かいます。藤沢を地図で見てみると、地形的にはスイッチバックをする必要はなさそうに思います。なぜこ ... もっと読む
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ケープアイボリーの車体にロイヤルブルーの帯を巻いた最後の形式、小田急8000形。その点ばかりに注目が集まりますが、それ以外にも小田急で最後となっている装備がいくつか見られます。それは車内に存在しており、ステンレスの地肌そのままの扉です。小田急では、ステンレス ... もっと読む
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