前面デザインが同じで、小田急の中では兄弟形式と表現しても良さそうな1000形と2000形。
平成初期の通勤型車両を代表する2形式ですが、その増備の過程からは当時の小田急の迷いをうかがうことができます。

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覚悟を決められずに仕様変更が繰り返された1000形と、その反省が反映されたと思われる2000形、その迷いの歴史を振り返ります。

仕様変更が繰り返された1000形

1987年の終わりに最初の編成が登場した1000形は、小田原線の各駅停車を8両化することを目的として、まずは4両が増備されました。
登場時は4両を2編成繋いだ8両が基本で、半固定編成として使われることとなりました。

その後、営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への乗り入れに対応した編成や、ワイドドア車の登場へと発展することになりますが、それに伴って様々なバリエーションが生まれました。
各年度に登場したのがどのような1000形なのかをまとめると、以下のとおりとなります。

1987年度:各駅停車を8両化するための4両
1988年度:千代田線乗り入れ用の4両と6両
1989年度:千代田線乗り入れ用の4両と6両(4両が多め)
1990年度:追加の4両・ワイドドア車の4両と6両
1991年度:ワイドドア車の4両・千代田線乗り入れ用の10両
1992年度:千代田線乗り入れ用の10両・各駅停車用の8両

年度ごとに仕様変更が繰り返され、バリエーションが豊富な196両が出揃いました。
しかし、最初に覚悟を決めていればこんなことにはならなかったのではないか、そう思わせる仕様変更でもあったのです。

1000形の失敗から2000形への発展

ワイドドア車の展開を除けば、1000形の増備には小田急の迷いが反映されているといえます。
それが従来車と併結することに対する過剰な考慮と、長編成化への躊躇です。

1000形が登場した時点で、その後の用途はある程度定まっており、それは各駅停車の8両化と千代田線への乗り入れでした。
つまり、基本的には他形式との併結を考慮しなくてもよく、電気指令式ブレーキの採用に踏み切ることが可能だったといえます。
また、設備面での制約があったのかもしれませんが、最初から8両や10両の固定編成とすることも不可能ではなかったかもしれません。

他形式との併結運転は1990年から始まっていますが、頻度としてはそれほど多くなく、1000形同士で組んだ8両や10両という基本パターンは変わりませんでした。
ワイドドア車の増備を挟んで、結局8両や10両の固定編成が登場しており、当初から迷いがあったのではないかと推察されます。
さらに、8両を1編成増備した後は2000形の増備に移行し、固定編成化時に電気指令式ブレーキを採用できなかった苦しみも見え隠れします。

1000形が登場する時点で、従来車との併結運転を行わない使い方は見えていたと思われますが、分割併合が多く行われていた中では、互換性という保険を捨てきれなかったのかもしれません。
これらの反省が活かされたのか、2000形は互換性を捨てた固定編成化の流れとなりましたが、ワイドドア車を継続する迷いが見える点も面白い部分です。
しかし、2000形の増備は本格化せず、近年になって1000形が早期廃車へと追い込まれてしまったのは、なんとも皮肉な運命でした。

おわりに

1000形の登場時に覚悟を決め、電気指令式ブレーキの採用や固定編成化をしていたら、その後の展開は全く別のものとなっていたのでしょうか。
多くの列車が分割併合を行っているという現実が、互換性を重視しすぎる結果を招いてしまったのかもしれませんね。