小田急の終点である小田原を起点に、箱根湯本を経て強羅までを結んでいる箱根登山鉄道の鉄道線。80‰の急こう配を登山する鉄道として、あまりにも有名な路線です。このように、路線としては小田原から強羅までを結んでいる鉄道線ですが、現在は箱根湯本を境にして系統が分離 ...
もっと読む
2020年05月
小田急の1形が保存されるまでの経緯とは
小田急の開業時に製造され、大東急の時代を経て小田急で廃車となり、現在はモハ10が保存されている1形。ファンからはモハ1と呼ばれることが多いこの車両ですが、廃車後すぐに保存されたわけではありませんでした。保存までの経緯を書く前に、1形について少し触れておきたいと ...
もっと読む
小田急で展望席がある10両のロマンスカーが登場する可能性を考える
EXEで分割併合が可能な10両編成を採用し、その後MSEも同様とした小田急のロマンスカー。近年は展望席を備えた車両が少なくなり、20m車の10両編成が多数派となっています。現在はVSEとGSEが展望席を備えた車両となっていますが、その数は合計で4本にまで減少しています。さら ...
もっと読む
小田急の車両にLED式表示器が採用されたのはいつからなのか
多くの鉄道車両に採用され、幕式に変わって主流となったLED式の表示器。小田急も例外ではなく、近年導入する車両は全てLED式の表示器を採用しています。近年の小田急に目を向けると、在籍する車両のほとんどがLED式の表示器となっており、幕式は1000形の未更新車に残るのみと ...
もっと読む
小田急2220形全編成ガイド:2223F
4両編成として登場し、1962年に2両化された片割れの編成。小田急2220形としては、第1編成に含まれる車両である。デハ2223が増設された運転台で、2400形と同様の前面となっている。他の編成と異なり、前面貫通扉脇の手すりが無塗装だったことが最大の特徴で、かなり目立つ存在 ...
もっと読む
東京メトロ6000系の広幅貫通路はなぜ狭幅化されたのか
1968年に1次試作車が登場し、千代田線を代表する形式となった東京メトロの6000系。2018年に全車が引退しましたが、現在も多くの車両がインドネシアで走っています。その6000系の特徴の一つだったのが、今回取り上げる広幅貫通路です。3次車までの編成は、一部を除きキノコ型 ...
もっと読む
小田急3000形の登場によって変化した1000形の役割とは
小田急の通勤型車両で最後に4両の編成が増備され、現在も多くの4両が活躍している1000形。10両に改造された編成もありますが、まだ多くの4両が残っており、6両と組んでの優等運用や、箱根登山線内での折り返し運用に使われています。さて、1000形といえば代表的な使われ方と ...
もっと読む
小田急ロマンスカーのサポート号はどんな列車だったのかを徹底解説
1999年から2004年にかけて設定され、ロマンスカーの愛称としては短期間しか見られなかった小田急のサポート号。登場当時から不評だったこの愛称について、どんな列車だったのかを中心に今回は振り返ってみたいと思います。サポート号は、1999年7月17日のダイヤ改正で登場しま ...
もっと読む
小田急9000形はなぜ社内で嫌われてしまったのか
鉄道ファンに高い人気を誇り、惜しまれつつ2006年に引退した小田急9000形。東京メトロ千代田線への直通用車両として登場しながらも、晩年は専ら小田急線内で使われました。そんな9000形でしたが、鉄道ファンには人気がある一方で、社内では評判の悪い車両だったといわれてい ...
もっと読む
小田急はどのようにして冷房化率100%を達成したのか
最後まで非冷房で残っていた2400形が廃車となったことで、1989年に車両の冷房化率が100%となった小田急。1962年にSEが冷房化されたのを皮切りに、少しずつ冷房車を増やしていきました。ロマンスカーの歴史から振り返ってみましょう。前述のとおり、SEが冷房改造されたのが小 ...
もっと読む