車両の標準化が進められ、近年は似たような形態の車両が各社で走るようになりました。
会社による車両の個性は昔に比べて少なくなり、小田急でも3000形以降の車両ではその傾向が顕著となっていましたが、最新の5000形ではオリジナリティーが増加したと感じる部分もあり、設計にメリハリが見られます。

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その一方で、西武が他社からの中古車両購入を示唆する等、大手の鉄道会社が車両を譲受するという、今までにはほとんどなかった動きも出てきました。
小田急では今のところそのような動きはありませんが、過去には名鉄から中古車両を導入したケースがありました。

名鉄から小田急への車両譲渡事例

小田急が他社からの車両を受け入れたのは、戦後となって少し経過した1948年のことでした。
対象となった車両は名鉄の3700系で、6両が小田急の1800形となりました。

1800形は戦後の混乱期に製造された車両で、戦後の稼働車両不足を補うことを目的として、私鉄に割り当てられた国鉄の63系を、小田急(当時は大東急)では1800形としたものです。
63系は小田急以外にも割り当てられ、東武、名鉄、南海(当時は近鉄)、山陽の各社で走ることとなり、名鉄では3700系を名乗っています。
つまり、小田急の1800形と名鉄の3700系は、元を辿れば同じ車両ということになります。

1800形となった3700系の各車両は以下のとおりで、小田急では後に改番が行われています。

デハ1811(後のデハ1808):モ3704
デハ1812(後のデハ1809):モ3705
デハ1813(後のデハ1810):モ3706
クハ1861(後のクハ1858):ク2704
クハ1862(後のクハ1859):ク2705
クハ1863(後のクハ1860):ク2706

元を辿れば同じ車両で、名鉄での活躍は短かったものの、製造段階での仕様差により床下機器の配置が異なりました。
これは後の更新時に解消されたようですが、それまでは暫定的な対応をして走らせています。

譲渡はなぜ行われたのか

実質的には同じ車両だったとはいえ、なぜ名鉄から小田急への譲渡が行われたのでしょうか。
これには名鉄側の事情が関係していますが、小田急にも導入するメリットがありました。

名鉄で走り始めた3700系は、大型の車体によって輸送力増強に寄与したものの、運転できる区間が限定されるという弱点を抱えていました。
導入当初は、1両でも稼働できる車両が増えることが優先されたものの、制限がない車両が増加してくると、3700系のデメリットが目立つようになってきたため、在籍する全車両を小田急と東武に売却することになったのです。

小田急には6両が入線することとなりましたが、この両数には当時の小田急側の事情が関係していると考えられます。
63系は小田急に20両が割り当てられましたが、その一部は当時経営を委託されていた相鉄の厚木線に入線し、経営委託を解除する1947年に6両がそのまま譲渡されました。
つまり、抜けてしまった6両を穴埋めしたのが名鉄からの6両で、1800形は元の20両へと戻ったのです。

後に改番を行ったのは、相鉄への譲渡で抜けていた分を詰めるためで、最終的には編入車も加えた22両へと整理されました。

おわりに

両社の事情が上手くかみ合い、名鉄から小田急への車両譲渡が行われることとなりました。
戦後の混乱期のこととはいえ、小田急の歴史上においてもかなり珍しい事例となっています。