江ノ島線内の駅で最も利用者が多く、スイッチバックの駅構造が特徴となっている藤沢駅。
到着した列車が向きを変え、忙しく発着するのが楽しい駅でしたが、2022年3月12日のダイヤ変更で運行系統が分離され、藤沢を通して運転する列車はかなり少なくなりました。

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運行系統を分離することになった背景には、スイッチバックが関係していると考えられますが、今となっては皮肉な運命すら感じる、苦しい事情によって生まれたものでした。

藤沢駅がスイッチバックとなった理由

JR東日本の東海道線、江ノ電、それに小田急を加えた3路線が乗り入れる藤沢は、藤沢市の玄関口として栄えてきました。
東海道線は途中駅、江ノ電は始発駅となっている中、小田急も始発駅のような形態をしていますが、実際にはスイッチバックをしている途中駅であり、相模大野から片瀬江ノ島までが一つの路線となっています。

藤沢の歴史は明治時代から始まり、1887年に東海道線の駅が開業、それに続いたのが江ノ電で、これは1902年のことです。
最後に開業したのが小田急であり、他の路線からは少し遅れた1929年のことでした。

駅の手前で東海道線を跨いでいる小田急は、急カーブで地平へと降り、東海道線とホームを並べています。
少々無理をした線形となっており、スイッチバックをしているということで、地形に制約があったのかと思わされますが、地図を見るとさらに不思議なことに気付かされます。
わざわざスイッチバックをしなくても、直線で片瀬江ノ島に向かうことが可能な地形であり、わざわざ折り返して迂回しているような線形となっているのです。

このようなことになった背景には、先に開業していた二つの路線が関係しているようです。
一つは江ノ電と路線が並行することを避けたこと、もう一つは東海道線の駅周辺が発展していたことです。
江ノ島線を敷設するにあたって、藤沢を通らずに辻堂寄りを進む案もあったようですが、東海道線の駅と同じ位置にしつつ、江ノ電とは並行しないルートを選択したことで、このようなスイッチバックが生まれることに繋がっているのでしょう。

藤沢駅に関する皮肉な運命

列車の運転本数が増加すると、昔はあまり問題とならなかったスイッチバックの駅構造は、厄介な存在となってしまいました。
用地の関係でホームの延長にも厳しい制約があり、現在も10両の停車に対応しているのは1番ホームのみであり、他のホームを延長することを想定し、運行系統の分離が行われた可能性もあります。
江ノ島線が開業する時点で、現在のように発展することは予想できなかったのでしょうが、あまりにも皮肉な運命がその後展開されています。

現在は小田急の完全子会社となっている江ノ島電鉄ですが、江ノ島線が開業する当時はそうではありませんでした。
先に開業していた江ノ電からすれば、都心部に直結する小田急は脅威でしかないわけで、当時の鉄道省が並行することを避けるように指導したというのは、当然の成り行きだったのでしょう。
しかし、大東急での接近を経て、1953年に江ノ電は小田急の関連会社となり、2019年には完全子会社となりました。

開業当時から関連会社だった場合には、違った歴史があったのかもしれません。
ルートを交換していれば線形としては綺麗だったり、協力して地域を盛り上げることができれば、並行することも可能だったでしょう。
歴史にもしもはないのですが、後に関連会社となったからこそ、藤沢のスイッチバックには皮肉な運命を感じてしまいます。

おわりに

完全子会社となったことで、今後はより一層連携した動きが小田急と江ノ電には出てくるのでしょう。
藤沢のスイッチバックは残りますが、両社の力を合わせた今後の展開が楽しみですね。