多くの列車が10両編成で運転されるようになり、10両の貫通編成が年々増加している小田急。
小田急では10両固定編成と呼ばれることが多い編成形態ですが、5000形の登場によって全体に占める割合も多くなってきています。

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以前は4両と6両を繋いだ編成が圧倒的に多数派でしたが、10両の貫通編成はどのような過程を経て増えてきたのでしょうか。

用途が限られていた10両の貫通編成

小田急における最初の10両貫通編成は、1000形の増備車として1992年に登場しました。
現在も活躍している1091Fがその編成で、4両と6両を繋ぐのが標準となっていた小田急において、当時は圧倒的に特殊な存在でした。

1000形の10両貫通編成はその後も増備され、最終的に4本が揃うこととなります。
4本という限られた増備で終わっていますが、必要以上に造らなかったことに加え、当時の急行は途中駅で分割併合をすることが多かったため、用途が限られていたという事情があります。
10両貫通編成は、営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線への直通運転用であり、分割併合がない列車に限定して使うことで実現しました。

用途が限られてしまうため、10両貫通編成はその後しばらく増備されず、2000形は将来的な10両化を見据えての登場でしたが、最後まで実現することはありませんでした。
3000形に増備が移行してからも、6両と8両ばかりが登場し、1000形の4本は引き続き特殊な存在となっていました。

本格的な10両貫通編成の時代へ

10両の貫通編成が特殊な車両となっていた小田急ですが、動きがあったのは2007年のことでした。
千代田線に乗り入れる車両として4000形が登場し、4両と6両を繋いだ1000形の10両と交代することとなり、7本が一気に登場します。
小田急線内を中心に走るようになった1000形は、中間に入っていた先頭車を活用することで、新たな活躍の場を得たことになります。

用途が限られていた10両貫通編成ですが、2008年に分割併合の多くが廃止されたことで、その時点から運用上の制約がほぼなくなりました。
現在と同様に、小田急線内のみの運用でも10両貫通編成を活用できるようになり、少数派から多数派への変化が始まります。

4000形については追加の増備が行われ、最終的に16本が揃うこととなりました。
従来車の置き換えや、編成の増強に合わせて3000形の編成変更も行われ、中間車を追加で増備して6両と8両の編成に組み込み、10両貫通編成を12本としています。
1000形についても、リニューアルに合わせて組み替えを行い、10両貫通編成は7本となりました。

近年は5000形の増備が行われ、現在は12本が顔を揃えています。
異形式を繋いで10両とするケースはほとんど見られなくなり、現在は8000形で4両と6両を繋いでいる程度で、10両貫通編成は小田急の中で圧倒的に多数派となりました。

おわりに

8000形が引退すると、小田急の10両は貫通編成に統一されることになるのかもしれません。
ロマンスカー以外では、4両を繋いだ8両も含めて、編成の中間に先頭車が入るケースは最終的に見られなくなってしまいそうですね。