全廃になるその時まで、箱根登山線への直通が禁止されていた4000形。
それが運用上のネックとなり、晩年の6連は単独で走ることが多くなりました。

小田原線内の各停、江ノ島線や多摩線といった支線での運用が、晩年のお決まりパターンになったわけです。

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これは江ノ島線内の運用に入った際の写真です。
線内を行ったり来たりしながら、時折急行でも走っていました。

電制こそないものの、その走りは意外と5000形にも負けないようなものだった印象があります。
最後まで小田急の中ではどこか異色の存在でした。