各停から急行まで、全線を駆け回っていた小田急5000形。
箱根登山線直通に対して、2600形や4000形は制限があったことから、急行の主役といえば5000形のイメージが強くありました。
2600形の制限は晩年に緩和されていますが、それでも5000形が持つイメージは強かったように思います。

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かつての花形列車である湯本急行で走る5000形です。
湯本急行の晩年に撮影したもので、この頃は新松田で後ろ4両を切り離していました。