晩年の小田急9000形4連は、一部先頭車の運転台を撤去して簡易的に8連化されていました。
しかし、それは9本在籍した9000形4連の中で、9001Fから9006Fまでの6本だけのことです。
9007Fから9009Fの3本については、晩年も両側の運転台機能が残っていました。
通常は9007Fが単独で、9008Fと9009Fがペアで8連を組むことがほとんどでしたが、なぜ9007Fが単独だったのかはよく分かりません。
写真は晩年の9408Fです。
うっかり9008Fと勘違いして記事を書いてしまいました。
コメントでご指摘頂きありがとうございます。
記事内容を一部修正致しました。
コメント
コメント一覧 (4)
お恥ずかしながら、完全に誤認して記事を書いていました。
記事内容を一部修正致しました。
理由については、4Mだからということで間違いないと思います。
個人的に分からないのが、なぜ9007Fだったのかなのです。
9007と9008を組ませ、9009が単独なら分かりやすいのですが、なぜか単独は専ら9007で、甲種牽引もだいたい9007だったと記憶しています。
何か理由があるのか、小田急の謎として残ってしまいました。
30000形(EXE)第一編成も、松田からEF65による入れ換えで新松田構内まで運ばれ、新松田から相模大野まで9000形4連に牽引され到着しています。
おそらく、4M0T編成なので、この役に適しているという判断だったのではないでしょうか。