小田急2000形は、1995年に2編成が営業運転を開始しました。
1000形の後継形式に位置付けられ、1.6mの側面扉を採用したことが特徴です。

外見こそ1000形に近いものでしたが、それ以外の部分では意欲的な部分が見られます。
しかし、2本が登場した後は全然増える気配がなく、3本目が登場したのは1998年でした。

この時点で、東急2000系のような少数派形式になる雰囲気が漂い始めます。
たった3本しかいない2000形は、2600形の8連が多く走る中にあって輝いていました。

しかし、その2000形が大量に増えるタイミングが訪れます。
それが2000年のことで、8連の2600形を置き換える6本が一気に増備されました。
たったの1年で3倍の編成数になったわけです。

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その大量増備の最初となったのが写真の2054Fで、2600形の2666Fから機器を流用しています。

しかし、この増備は今後始まる大量置き換えの始まりでしかありませんでした。
直後には3000形の大量増備が始まるのです。

正直なところ、2000形ではなく3000形でも良かったのでしょう。
3本だとあまりにも少数形式となってしまうので、意図的に2000形を増備したというのが真相なのだと思います。

こうして2000形は8連9本まで増えるわけですが、両数だけで見るとこれでも少数派形式となりました。