小田急からLSEが姿を消しました。
クラシックな雰囲気を残していた形式の消滅で、ロマンスカーの歴史における転換点となった印象です。
LSEは、11両連接車最後のロマンスカーとなり、独特なジョイント音を響かせていました。
連接車はSEで初めて採用され、その後もロマンスカーといえば連接車の時代が長く続きます。
SEに続いたNSEは、11両編成の連接車となり、ロマンスカーのイメージを定着させました。
LSE、HiSEと11両連接車が続いたので、ロマンスカーといえば11両の連接車となったのです。
変化があったのはRSEの登場で、御殿場線直通の関係でボギー車の7両編成となりました。
相手先の事情に合わせた変化ではありますが、ある意味ここが転換点なのでしょう。
その後EXEが登場しますが、それまでの流れを大きく変える10両ボギー車となり、ファンに衝撃を与えました。
そのスタイルも今までのロマンスカーとは大きく異なり、賛否両論を巻き起こします。
そして、それ以降11両の連接車は登場していません。
連接車として登場したVSEは、11両にするか検討はされたようですが、結果的に10両となっています。
最も小田急ロマンスカーらしいスタイルと思われる11両連接車ですが、実際は3形式だけが持つ共通の特徴であり、多数派というわけでもないのが興味深いところです。
3形式連続で採用されたという点が、印象深いというところなのでしょう。

11両連接車を最後に採用したのがHiSEでした。
ロマンスカーといえば展望席を設けた11両の連接車という時代は、一気に過去のものになっていくのでしょう。
クラシックな雰囲気を残していた形式の消滅で、ロマンスカーの歴史における転換点となった印象です。
LSEは、11両連接車最後のロマンスカーとなり、独特なジョイント音を響かせていました。
連接車はSEで初めて採用され、その後もロマンスカーといえば連接車の時代が長く続きます。
SEに続いたNSEは、11両編成の連接車となり、ロマンスカーのイメージを定着させました。
LSE、HiSEと11両連接車が続いたので、ロマンスカーといえば11両の連接車となったのです。
変化があったのはRSEの登場で、御殿場線直通の関係でボギー車の7両編成となりました。
相手先の事情に合わせた変化ではありますが、ある意味ここが転換点なのでしょう。
その後EXEが登場しますが、それまでの流れを大きく変える10両ボギー車となり、ファンに衝撃を与えました。
そのスタイルも今までのロマンスカーとは大きく異なり、賛否両論を巻き起こします。
そして、それ以降11両の連接車は登場していません。
連接車として登場したVSEは、11両にするか検討はされたようですが、結果的に10両となっています。
最も小田急ロマンスカーらしいスタイルと思われる11両連接車ですが、実際は3形式だけが持つ共通の特徴であり、多数派というわけでもないのが興味深いところです。
3形式連続で採用されたという点が、印象深いというところなのでしょう。

11両連接車を最後に採用したのがHiSEでした。
ロマンスカーといえば展望席を設けた11両の連接車という時代は、一気に過去のものになっていくのでしょう。
コメント
コメント一覧 (3)
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
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もともと3100形NSEは10両連接で設計を開始しましたが、軸重の問題がクリアできなかったために車体長を短縮して11両連接になりました。
以後NSEに準じた11両連接がLSE、HiSEと3代続き、50000形VSEも小田急としては従来とおなじ11両連接で計画していましたが、この時は設計を担当した岡部憲明氏がシンメトリー構造を志向して10両連接への設計変更を願い出たこと、さらに新構造によるアルミ車体の導入により長年の懸案だった軸重の問題をクリアして車体長を延長できたことにより10両連接化が実現しています。
間違ってもらいたくないのですが、小田急では11両連接でも10両連接でも編成長としては20mボギー車7両編成掃討で一緒ですので、10両連接化されたのはむしろ技術の進歩の賜物であり、消極的に捉えられるような記述は困ります。
ワタシダ
が
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