小田急の線路上からLSEが消えました。
懐かしさを残していたLSEの引退で、ロマンスカーの一つの時代が終わりました。
沢山の写真を撮ってきましたので、それらを活用しつつLSEの一生を振り返っていこうと思います。
たまにはシリーズものをということで、何回になるか分かりませんが、少しずつ書いていく予定です。
LSEは、NSEの11両連接、展望車付きというスタイルを継承し、1980年に第1編成が製造されました。
御殿場線の乗り入れ案や、様々なスタイルが検討されたようですが、NSEを正統に進化させたものとなっています。
面白いのはその製造工程で、日本車輌と川崎重工で分けて製造されたため、川崎重工で製造した車両を
日本車輌まで運び、そこから11両で小田急まで運ぶということを行っています。
小田急に入ったLSEは、1980年12月27日に運行を開始しました。
1981年には第2編成が製造され、3車種連続となるブルーリボン賞を受賞しました。
その後第3編成が1982年に、第4編成が1983年に製造されています。
LSEの歴史の中に、SEに続き国鉄線上で試運転を行ったという実績があります。
ボギー車と連接車の比較が目的であったこの試験には、第2編成が貸し出され、東海道本線を走行しました。
国鉄の線路上を私鉄の電車が試運転するという珍事は、それだけ小田急のロマンスカーが技術的に見て興味深い車両だったということでしょう。
全部で4編成になったLSEですが、それによってSEを置き換えることはなく、御殿場線に直通することもありませんでした。
最新型のロマンスカーとして活躍していきますが、1987年には早くもHiSEが登場します。
ロマンスカーの最新型でいられた期間は、僅かに7年間しかありませんでした。

HiSEが最新型のロマンスカーというイメージが強かった私にとって、LSEは地味な存在でした。
NSEはボロいロマンスカー、LSEはNSEを進化させたロマンスカー、そんなイメージです。
HiSEの登場後は、はこね号以外で走る機会が増え、実際の使われ方も地味でした。
カラーリングもNSEと同種なので、派手なHiSEに対するインパクトも弱くなりました。
RSEの登場後はさらに目立たなくなってしまい、完全に脇役となっていきます。
やたらやって来るNSE、NSEかと思ったらたまにLSE、HiSEが来たらラッキー、RSEが来たらもっとラッキー、そんな感じでした。
そんなLSEでしたが、登場から時間が経過し、リニューアルされることになります。
ここからは次回にしたいと思います。
懐かしさを残していたLSEの引退で、ロマンスカーの一つの時代が終わりました。
沢山の写真を撮ってきましたので、それらを活用しつつLSEの一生を振り返っていこうと思います。
たまにはシリーズものをということで、何回になるか分かりませんが、少しずつ書いていく予定です。
LSEは、NSEの11両連接、展望車付きというスタイルを継承し、1980年に第1編成が製造されました。
御殿場線の乗り入れ案や、様々なスタイルが検討されたようですが、NSEを正統に進化させたものとなっています。
面白いのはその製造工程で、日本車輌と川崎重工で分けて製造されたため、川崎重工で製造した車両を
日本車輌まで運び、そこから11両で小田急まで運ぶということを行っています。
小田急に入ったLSEは、1980年12月27日に運行を開始しました。
1981年には第2編成が製造され、3車種連続となるブルーリボン賞を受賞しました。
その後第3編成が1982年に、第4編成が1983年に製造されています。
LSEの歴史の中に、SEに続き国鉄線上で試運転を行ったという実績があります。
ボギー車と連接車の比較が目的であったこの試験には、第2編成が貸し出され、東海道本線を走行しました。
国鉄の線路上を私鉄の電車が試運転するという珍事は、それだけ小田急のロマンスカーが技術的に見て興味深い車両だったということでしょう。
全部で4編成になったLSEですが、それによってSEを置き換えることはなく、御殿場線に直通することもありませんでした。
最新型のロマンスカーとして活躍していきますが、1987年には早くもHiSEが登場します。
ロマンスカーの最新型でいられた期間は、僅かに7年間しかありませんでした。

HiSEが最新型のロマンスカーというイメージが強かった私にとって、LSEは地味な存在でした。
NSEはボロいロマンスカー、LSEはNSEを進化させたロマンスカー、そんなイメージです。
HiSEの登場後は、はこね号以外で走る機会が増え、実際の使われ方も地味でした。
カラーリングもNSEと同種なので、派手なHiSEに対するインパクトも弱くなりました。
RSEの登場後はさらに目立たなくなってしまい、完全に脇役となっていきます。
やたらやって来るNSE、NSEかと思ったらたまにLSE、HiSEが来たらラッキー、RSEが来たらもっとラッキー、そんな感じでした。
そんなLSEでしたが、登場から時間が経過し、リニューアルされることになります。
ここからは次回にしたいと思います。
コメント
コメント一覧 (3)
中学生の時大秦野駅4番ホーム(現 秦野駅)に試運転(正式な運用前)で停車していたのを見て興奮した事を思い出しました。ロマンスカー停車駅以外ではなかなか停車している車輌を見る事が出来ないので貴重な体験でした。(通過していくNSEやSSEは頻繁に見てましたが)
鉄道好きな友人にLSEを見たことを話したら羨ましがられた記憶がよみがえりました。
今でこそ通勤等でも気軽に乗られるロマンスカーですが、NSEでさえなかなか乗ることの無かった私にとってはLSEは最先端の乗り物に思えました。
ワタシダ
が
しました
拙い文章で恐縮ですが、楽しんで頂き励みになります。
私の方が少し若く昭和57年式なのですが、感覚的には近いものがあるのですね。
SEの場合はかなり晩年しか記憶になく、それこそあさぎりでしか走らないぐらいの時期でした。
稀に見かける程度だったのですが、仰るとおり小さくて短かったのであっという間に走り去る光景を記憶しています。
同じく乗ってみたかった車両ですが、その思いは叶わず廃車となってしまいました。。。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました