吊り掛け駆動方式で登場し、後に新性能化改造が行われた小田急4000形。
新性能化改造の際には、冷房化と編成の組み替えも同時に行われ、92両全車が改番されています。
全車が改番されているということは、それだけ複雑な組み替えが行われているということを意味しているわけですが、実際どのように組み替えられたのでしょうか。
4000形は、元々3両と5両の編成が在籍していました。
組み替えの目的は、他の車両と同じく4両と6両にすることで、運用の効率化を図ることでした。
組み替え前の4000形は、3両が9本、5両が13本在籍していました。
これを組み替えて、4両を8本、6両を10本にしています。
当然先頭車が余るので、中間車化が一部に行われました。
組み替えには規則性があり、3パターンが存在します。
まずは5両を2本組み合わせ、片方から中間車を1両動かしたもので、4両と6両を1本ずつ作りました。
これにより4両と6両が6本ずつ登場しています。
続いては3両を2本組み合わせたパターンで、そのまま間に入る先頭車を中間車化し、6両を1本作りました。
このパターンで作られた6両は、合計で4本です。
ここまで行うと、3両と5両が1本ずつ余ります。
この2本を組み合わせ、片方から中間車を動かし、4両を2本作りました。
規則性があるとはいえ、相当複雑な組み替えが行われたので、元の車番を容易には判別できなくなっていました。
各編成がどのように組み替えられて登場したかについては、後々ご紹介できればと思います。
新性能化改造の際には、冷房化と編成の組み替えも同時に行われ、92両全車が改番されています。
全車が改番されているということは、それだけ複雑な組み替えが行われているということを意味しているわけですが、実際どのように組み替えられたのでしょうか。
4000形は、元々3両と5両の編成が在籍していました。
組み替えの目的は、他の車両と同じく4両と6両にすることで、運用の効率化を図ることでした。
組み替え前の4000形は、3両が9本、5両が13本在籍していました。
これを組み替えて、4両を8本、6両を10本にしています。
当然先頭車が余るので、中間車化が一部に行われました。
組み替えには規則性があり、3パターンが存在します。
まずは5両を2本組み合わせ、片方から中間車を1両動かしたもので、4両と6両を1本ずつ作りました。
これにより4両と6両が6本ずつ登場しています。
続いては3両を2本組み合わせたパターンで、そのまま間に入る先頭車を中間車化し、6両を1本作りました。
このパターンで作られた6両は、合計で4本です。
ここまで行うと、3両と5両が1本ずつ余ります。
この2本を組み合わせ、片方から中間車を動かし、4両を2本作りました。
規則性があるとはいえ、相当複雑な組み替えが行われたので、元の車番を容易には判別できなくなっていました。
各編成がどのように組み替えられて登場したかについては、後々ご紹介できればと思います。
コメント
コメント一覧 (4)
時代に合わせて変化して、結果2600形と同じ時期まで生きたのは、ある意味凄いことだったのかもしれません。
ワタシダ
がしました
4000形登場の経緯はご存知の通り、急激に増加した都心方面への輸送力増強のために、HB車の足まわりを流用して大型の車体に載せ換えたものです。登場時はすべて2M1Tの3連でした。中型車4連の輸送力に相当させるためだと思います。5連で使用するときは1800形とペアを組んで使用されました。朝の平行ダイヤでは更に3両繋いで、当時最長の8両急行として輸送力列車に充てられました。柿生~百合ヶ丘で脱線事故を繰り返して1800形との併結をやめた際、4000形だけで5連を生成できるよう、3連からクハを外した2両を3連と繋いだ暫定5連としてピンチをしのぎました。このとき、2連側中間デハの一方の貫通路には塞ぎ板がされています。ABF車の廃車が進むなか、これらの足まわりを流用して新製した大型車体の中間車2両に装備した新4000形(初代)が登場して暫定5連を解消し、結果として輸送力増強を果たしています。新4000は側面に種別幕の準備工事がされていました。台車はクハのパイオニアⅢー706を召し上げてモーターを装架して、クハには新造した東急のプレス台車に履き替えられていますが、足らなかった分(4両だったかな)はデハにもプレス台車が付きました。
急行10両化のとき、5連を2本繋いだ大型10両は朝のラッシュに大活躍しています。平行ダイヤでも加減速の少ない急行なら旧性能車でも十分対応できました。
HE車の足まわりに換装して冷房化されたホントの新4000形の活躍は皆さんご存知の通りです。
ワタシダ
がしました
吊り掛け駆動でしたから、MT同数だと都合が悪く、3M1Tというわかにもいかなかったのかなと。
あとはABFの4両と4000の4両が共通運用だったようなので、そこに収容力を合わせたというのも、ありそうです。
ワタシダ
がしました
今考えるとなぜ3両と5両にしたのか?と思ってしまいますが、当時の各駅ホーム長からと思われます。2600形も同じ理由で当初は5両でした。ただ、3両の方はよくわかりません。当時まだ17メートル車の4両が残っていたからでしょうか?
新性能化の時は旧2400形の廃車発生品を使って新性能化されました。この時点で車体更新からかなりの年月が経っており、ちょうど2400形の廃車がされていたので、これで十分、とされたのでしょう。
ワタシダ
がしました