タワーマンションの建設計画が発表され、のんびりとした雰囲気に変化が出てきそうな小田急線の柿生駅。
その柿生駅ですが、1977年まで待避線が存在しており、2面4線の構造となっていました。

今の雰囲気からは想像できませんが、新百合ヶ丘が開業する前は、町田、柿生、向ヶ丘遊園に退避設備がありました。
柿生に退避設備がなければ、町田から向ヶ丘遊園まで存在しないことになってしまうわけです。

その退避設備に変化が起きたのは、1974年6月1日の新百合ヶ丘駅開業でした。
隣の新百合ヶ丘にも退避設備が設けられ、多摩線の始発駅となりました。

柿生の待避線を廃止する直接的なきっかけとなったのは、1978年3月31日の営団千代田線直通開始でした。
直通列車は準急の10両編成であり、柿生にこの列車を停車させる必要がありました。

しかし、用地の関係で待避線を残したままでホームを伸ばすことは難しく、これが待避線を廃止する直接的な原因となっています。
待避線は1977年11月20日に廃止され、翌11月21日から鶴川の上り線に設けられた退避設備の使用が開始されています。

柿生が担っていた役割は、隣駅の新百合ヶ丘と鶴川に継承されたのです。

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柿生の駅構造物を見てみると、今でも待避線の名残が残っています。
ホームにもその証が残っており、線路がない側の端を見るとそれがよく分かります。
跨線橋も今の構造で見ると不自然で、下り側で1線分を跨いでいるような配置です。

駅周辺の用地を見ても、以前は線路だったことを思わせる部分が現在も残っています。
再開発が開始されれば、これらの土地にも変化が出てくるかもしれませんね。