小田急顔を持つ最後の形式となった5000形。
全180両が製造されましたが、5000形といえば4両の15編成をイメージする方が多いのではないでしょうか。
今日は、その4両の5000形について取り上げます。
4両の5000形は、編成数の割にバリエーションが豊富で、それぞれの編成に個性がありました。
製造期間が長かったことで、仕様変更が多かったためです。
その5000形ですが、1990年からリニューアルが行われることになりました。
当時の他形式で標準となっている装備に合わせていく内容が多く、見た目の変化が大きいリニューアルでした。
リニューアル前の段階では、その時点で5000形でしか見られなくなっているものがあり、貴重な存在となっていたのです。
一つ目が、側面に装備されていた電照式の種別表示です。
急行、準急と予め表示されている板を裏側から電球で照らすもので、小田急では5000形と9000形で採用されました。
9000形は早期に交換されていたので、5000形の3次車までで見ることができる貴重なものでした。
リニューアル後は通常の幕式となり、特徴的な部分がなくなりました。
なお、4次車以降の5000形は最初から幕式でしたが、種別のみをデカデカと表示するタイプでした。
もう一つリニューアルで消滅したものが、白地の種別幕と方向幕です。
小田急顔の形式では、5000形の3次車までが白地の幕を装備していました。
その後の改造等で黒地幕へと交換が進む中、最後まで残ったのが5000形でした。
一部の編成は、リニューアル前に方向幕だけが交換されていましたが、多くが懐かしい姿を残しており、貴重な存在となっていました。
種別幕については文字が小さいタイプであり、これもまた良い味を出していました。
リニューアル後は他車と同じ黒地に統一され、小田急から白地の幕が消滅しました。

リニューアル後は他の小田急顔と大差がなくなったので、比較的目立たない存在となってしまいました。
平成に入った後の白地幕はインパクトが大きく、とにかく異彩を放っていました。
そんな5000形が消えてから、既に5年以上が経ってしまいました。
小田急顔がいない小田急はどこか寂しい、そんなことを思う今日この頃です。
全180両が製造されましたが、5000形といえば4両の15編成をイメージする方が多いのではないでしょうか。
今日は、その4両の5000形について取り上げます。
4両の5000形は、編成数の割にバリエーションが豊富で、それぞれの編成に個性がありました。
製造期間が長かったことで、仕様変更が多かったためです。
その5000形ですが、1990年からリニューアルが行われることになりました。
当時の他形式で標準となっている装備に合わせていく内容が多く、見た目の変化が大きいリニューアルでした。
リニューアル前の段階では、その時点で5000形でしか見られなくなっているものがあり、貴重な存在となっていたのです。
一つ目が、側面に装備されていた電照式の種別表示です。
急行、準急と予め表示されている板を裏側から電球で照らすもので、小田急では5000形と9000形で採用されました。
9000形は早期に交換されていたので、5000形の3次車までで見ることができる貴重なものでした。
リニューアル後は通常の幕式となり、特徴的な部分がなくなりました。
なお、4次車以降の5000形は最初から幕式でしたが、種別のみをデカデカと表示するタイプでした。
もう一つリニューアルで消滅したものが、白地の種別幕と方向幕です。
小田急顔の形式では、5000形の3次車までが白地の幕を装備していました。
その後の改造等で黒地幕へと交換が進む中、最後まで残ったのが5000形でした。
一部の編成は、リニューアル前に方向幕だけが交換されていましたが、多くが懐かしい姿を残しており、貴重な存在となっていました。
種別幕については文字が小さいタイプであり、これもまた良い味を出していました。
リニューアル後は他車と同じ黒地に統一され、小田急から白地の幕が消滅しました。

リニューアル後は他の小田急顔と大差がなくなったので、比較的目立たない存在となってしまいました。
平成に入った後の白地幕はインパクトが大きく、とにかく異彩を放っていました。
そんな5000形が消えてから、既に5年以上が経ってしまいました。
小田急顔がいない小田急はどこか寂しい、そんなことを思う今日この頃です。
コメント
コメント一覧 (6)
端から端まで手巻きというのは、そりゃ大変だっただろうなと。。。
そんなのが平成になっても走っていたわけですから、今考えると信じられないですね。
ワタシダ
が
しました
車掌が回す横着して、回送列車で行き先を中途半端に留めて「宿」だけになっていたりってありましたよねー。
たしか、「新宿」から「小田原・江ノ島」までがめっちゃコマ遠くて、遅延して新宿折り返し時間短くなると、車掌が回すの大変だったとか懐かしいですな。気が利く運転士は上原で途中まで回して中途半端に止めてたなんてこともあったような。
ワタシダ
が
しました
消えてみるとやはり寂しいものですね。
ふとした時に見かける楽しみが減ってしまったように思います。
今はGSEがその役割を引き継いでくれた気はしますが、ちょっと違うというか、別の感情なんですよね。
いずれネタ的に復活旧塗装とかやってくれると面白いんですけどね。(笑)
ワタシダ
が
しました
僕は通勤型の小田急顔消滅以上にさみしいものがあります。LSEの引退で、伝統のロマンスカーカラーが消滅してしまいました。不人気のEXEにロマンスカーカラーを施したら、人気が出るかもしれませんよ。長野電鉄1000系がロマンスカーカラーになったら…ないでしょうけど。(笑)
ワタシダ
が
しました
ご教授ありがとうございます。
4編成存在していたのですね。
白幕を期待していてあれがくると、半分がっかりする車でした。
5000形は後期になるほど個性が出てきて、楽しい形式でしたね。
ワタシダ
が
しました
5065だけは手すりが違っていて前面だけ見ると5200っぽかったでした。
ワタシダ
が
しました