全180両が製造され、小田急顔を持つ最後の形式となった5000形。
製造期間が長かったことで、様々なバリエーションが存在する面白い形式でもあります。
その5000形ですが、2012年に惜しまれつつ引退しました。
最後まで残ったのは5063Fで、後輩の6両よりも長生きしたことになります。
5000形の廃車は小田急顔消滅のインパクトが強いですが、それ以外にも小田急で最後となったものがありました。
それは車両間を繋ぐ広幅の貫通路で、8000形からは扉付きの狭幅となったので、5000形が最後の採用となっていました。
小田急の広幅貫通路は歴史が長く、古くは1600形等でも採用されていました。
その歴史が5000形の廃車で終わることになったわけで、少々寂しいものがありました。
広幅貫通路には基本的に扉がないので、走行音の録音をすると、連結部からの音が綺麗に入りました。
車両の一体感も強くなるので、車内が広く見えたようにも思います。
小田急顔形式の集大成として、安定した装備を採用して登場したのが5000形でした。
8000形がフルモデルチェンジの形式となったので、ここが小田急にとっての一区切りだったのかもしれません。
製造期間が長かったことで、様々なバリエーションが存在する面白い形式でもあります。
その5000形ですが、2012年に惜しまれつつ引退しました。
最後まで残ったのは5063Fで、後輩の6両よりも長生きしたことになります。
5000形の廃車は小田急顔消滅のインパクトが強いですが、それ以外にも小田急で最後となったものがありました。
それは車両間を繋ぐ広幅の貫通路で、8000形からは扉付きの狭幅となったので、5000形が最後の採用となっていました。
小田急の広幅貫通路は歴史が長く、古くは1600形等でも採用されていました。
その歴史が5000形の廃車で終わることになったわけで、少々寂しいものがありました。
広幅貫通路には基本的に扉がないので、走行音の録音をすると、連結部からの音が綺麗に入りました。
車両の一体感も強くなるので、車内が広く見えたようにも思います。
小田急顔形式の集大成として、安定した装備を採用して登場したのが5000形でした。
8000形がフルモデルチェンジの形式となったので、ここが小田急にとっての一区切りだったのかもしれません。
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ワタシダ
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