新百合ヶ丘から唐木田までを結ぶ10.6kmの路線、小田急多摩線。
三つある小田急の路線の中で、最も短い路線です。

多摩線は1974年6月1日に開業しました。
当初は新百合ヶ丘から小田急永山までで、翌年に小田急多摩センターまで開業、1990年に唐木田まで延伸し今日に至ります。

宅地化が進んだことで最近は利用者が増えましたが、一昔前は2両や4両で足りてしまう程度の路線となっていました。

そんな多摩線ですが、廃車が近い車両が集まることが多く、最終勤務地としての性質を持っています。
過去を振り返ると、ABF車やABFM車、2400形、2600形、4000形が、晩年を多摩線で過ごしました。
最近では、界磁チョッパ制御で残る8000形や、1000形のワイドドア車が走っています。

なぜ多摩線は最終勤務地になるのでしょうか。
その理由として考えられるのが、線内折り返しの運用が組まれており、路線の距離も短いことから、必要な本数も少なくて済むからです。

廃車開始が近い車両は運用上の制限を受けやすく、使い勝手が悪くなることがあります。
また、廃車が始まると本数が少なくなることから、用途を限定することができる多摩線は最適な場所となってくるのです。
小田原線の末端区間や、江ノ島線にも似たような性質があります。

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このような性質から、多摩線が最終勤務地になってくるのです。
見方を変えると、多摩線ばかりを走るようになると、その車両の終わりは遠くないということかもしれません。

近年では、4000形が晩年は多摩線を走り回っていた印象が強く残っています。
箱根登山線に乗り入れができなかったので、6両に運用上の制限がかかっていました。

10両の優等列車が走るようになった今でも、多摩線のどこかのんびりした空気感は失われていません。
その空気感の理由の一つに、老いた車両たちが走る日常があるのかもしれません。