湘南急行と多摩急行が登場する前の小田急は、とても列車種別が少ない鉄道会社でした。
各停、準急、急行、特急、4つの種別のみで運行していました。

2002年に種別が増えることになるのですが、その前の2000年のダイヤ改正において、急行に大きな変化がありました。

当時の急行は、1時間に6本運行されており、2本ずつある程度パターン化されていました。
箱根登山線に直通する箱根湯本行き、その手前までの小田原行き、そして片瀬江ノ島行き、このような組み合わせとなっていました。

箱根登山線への入線には形式によって制限があったので、運用もそれを考慮して組まれていました。
そのため、小田原行きや片瀬江ノ島行きには、制限がある2600形や4000形が充当されることが多かったのです。

2000年のダイヤ改正において、箱根登山線に直通する急行が1時間に4本となり、小田原止まりの急行が激減しました。
日中は箱根登山鉄道の車両が小田原まで来なくなったのも、このダイヤ改正からでした。

このダイヤ改正から、4000形の6両は優等列車で走る機会が減り、各停を中心とした運用になっています。
活躍の幅が広がったのは2600形で、箱根登山線への直通が解禁されたことで、優等列車で走る機会が増加しました。

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こうして増加した箱根湯本行きの急行ですが、全線10両化の進展に伴い、2008年には一転して消滅してしまいました。
小田急の急行の代名詞だった湯本急行は、こうして幕を閉じたのでした。

現在は快速急行を補完する役割となり、その立ち位置も大きく変化しました。
時代に合わせて変化する小田急の急行、これから先どうなっていくのか、引き続き見守っていきたいと思います。