小田急の急行といえば、前の6両が箱根湯本行き、後ろの4両が片瀬江ノ島行き、かつてはこのような列車が当たり前のように走っていました。
乗客が多い都市部は10両で走らせ、そうではない区間は両数を減らすことで、効率的な輸送を可能にしていたのです。

このような分割併合が数多く行われていたのが、江ノ島線が分岐する相模大野でした。
相模大野を境として車両を切り離し、逆の場合は併合して1本の列車にしていました。

かなり古くからこの運用は行われており、小田急といえば相模大野で分割併合、このようなイメージが強くありました。
そのイメージに変化が出てきたのは、平成に入ってからのことです。

輸送力の増強を進めるため、小田急では急行停車駅のホームを伸ばし、全線10両化を進めていきました。
また、急行同士が相模大野で分かれ、小田原線と江ノ島線に直通する列車では、江ノ島線の急行が4両になってしまうことから、前の6両が急行として、後ろ4両は各停に化けるといった運用へと変化していくことになります。
その流れの中で、小田原線の分割併合は海老名へと移っていきました。

1998年になると、ついに全線の10両化が完成しました。
この段階では活用が限定的で、ラッシュ時を中心に全線を10両で走る急行が出てきています。

全線10両化の完成後も、小田原線の急行は新松田で、江ノ島線の急行は相模大野で分割併合をしていましたが、2002年に大きな変化が起こります。
それは湘南急行の登場で、いよいよ江ノ島線については分割併合を行わないことが基本となってきたのです。

小田原線については、箱根登山線内が6両以下である必要があり、湘南急行、快速急行の登場後も引き続き新松田での分割併合が行われていました。
しかし、小田原線でも全線10両化が本格的に行われることとなり、2008年に一部の列車を残し分割併合は消滅しました。
箱根登山線内は4両の各停での運転となり、新宿から箱根湯本までを通して乗車するには、ロマンスカーの利用が必須となったのです。

そして、2012年のダイヤ改正において、小田急の通勤型車両による分割併合は消滅しました。

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消滅の理由はいくつかあると思いますが、まとめると効率の問題が大きかったものと思われます。
分割併合を行う場合、切り離した列車を再度繋ぐ必要性があるため、ダイヤ上の制限が多くなってしまいます。
また、何らかの理由でダイヤが乱れてしまうと、様々な要因が複雑に絡み合ってしまい、早期復旧の妨げにもなっていました。

車両の組成においても、相性の悪い形式同士の併結や、ブレーキ方式の統一や読み替えが必要といった問題がありました。
少ない車両で効率良く輸送ができる反面、運用上は効率が悪かったのです。

技術の発展により、両数が増えても省エネルギーで運ぶことが可能となりました。
空気輸送になってしまう区間や時間帯があっても、全線を10両で統一するほうが、効率の良い時代となってしまったわけです。

効率的な輸送方法であった分割併合が非効率になってしまったこと、それこそが分割併合消滅の理由でした。
発展的な消滅とはいえ、現在の運用は小田急ファンとしては少し寂しいものとなってしまいました。