旧性能車の機器を流用して登場した小田急4000形。
後年は2400形の機器を流用して高性能化され、他形式とも併結して活躍しました。
高性能化前の4000形は、基本的に他形式との併結を行わず、4000形のみで編成を組んでいました。
一時期1800形との併結運転を行いましたが、連続して発生した脱線事故により中止されています。
他形式との併結を行わなかったのは、最高速度が異なること、編成単位が奇数の両数であること、先ほどの脱線事故等、複数の要因が絡んでいるものと思われます。
その4000形がまだ吊り掛け駆動だった頃、一度だけ8000形と併結して使用されたという記録が残っています。
それは1988年9月22日のことで、8000形の4両と4000形の3両を2本組み合わせた10両編成だったようです。
これは車両故障に伴う代走で発生したようで、写真等は残っていないようですが、複数の目撃証言があるので事実なのでしょう。
既に4000形の吊り掛け駆動車は運用から離脱していた時期で、突発的なものであったようです。
現代のように情報が簡単に手に入らない時代でしたから、これ以外にも突発的な併結がなかったとは断定できません。
しかし、記録に残っている限りでは、これが唯一の事例のようです。
後年は2400形の機器を流用して高性能化され、他形式とも併結して活躍しました。
高性能化前の4000形は、基本的に他形式との併結を行わず、4000形のみで編成を組んでいました。
一時期1800形との併結運転を行いましたが、連続して発生した脱線事故により中止されています。
他形式との併結を行わなかったのは、最高速度が異なること、編成単位が奇数の両数であること、先ほどの脱線事故等、複数の要因が絡んでいるものと思われます。
その4000形がまだ吊り掛け駆動だった頃、一度だけ8000形と併結して使用されたという記録が残っています。
それは1988年9月22日のことで、8000形の4両と4000形の3両を2本組み合わせた10両編成だったようです。
これは車両故障に伴う代走で発生したようで、写真等は残っていないようですが、複数の目撃証言があるので事実なのでしょう。
既に4000形の吊り掛け駆動車は運用から離脱していた時期で、突発的なものであったようです。
現代のように情報が簡単に手に入らない時代でしたから、これ以外にも突発的な併結がなかったとは断定できません。
しかし、記録に残っている限りでは、これが唯一の事例のようです。
コメント
コメント一覧 (5)
当時厚木市にある勤務先に向かう為、下りの急行列車の進行方向右側の扉付近に立っていましたが、相模川橋梁上で本厚木駅に向けて減速中に、8000形の上り急行列車とすれ違いました。しかしその8000形のうしろに併結されている編成から、吊り掛けの唸り音が聞こえて来て飛び上がらんばかりに驚き、その編成の去り際に思わず振返ってしまったことが思い出されます。
対抗列車に乗車中の一瞬のことでしたので、編成全体を外からじっくりと観察出来た訳ではなく、また当時はネットもスマホも無い時代で、市販の鉄道雑誌にも関連記事が掲載されていなかった(と思われる)ことから、後々あれは夢か幻だったのかとさえ思う様になっていました。
しかし後年ネットが普及する様になってから、本ブログの様な記事が散見される様になり、あの日のことが事実だったのだと確信出来る様になりました。
突発的な事象だった為、誰も写真を撮っていないと思われることが残念ですね。
ワタシダ
がしました
この旧4000と8000の併結運転については、鉄道友の会小田急部会報によるもの(かなり過去記事ですし、部分引用なので問題無いかと)で、編成は8054×4+4020×3+4021×3 だそうです。ただ多少疑問なのは、4020編成と4021編成の位置関係は逆ではないか(新宿方が4021F?
)とも思えますが…。
性能的に併結出来るのかということですが、これは5000の性能が関与しているように思えます。ピクトリアル誌アーカイブスセレクション2小田急電鉄1960~70の75ページによりますと、5000形の「制御装置は高性能車(2200・2300・2400)と大形車(2600・4000・1800)グループの全車種と連結運転が可能な方式とし」とありますので、5000+1800も、5000+4000も可能であったと解されます。すると8000も5000と当然にして併結可能でしたから、つまりは旧4000とも併結可能という理屈ではないかと思われます。
なお、電気連結器の電気接点番号などは統一されていましたので、走行・表示・放送などでの不具合は生じないと思われますが、国鉄でよく見られた115系+クモニ83のような、「低速域では吊り掛け車が押し、高速域ではカルダン車が引く」のような挙動は見られたかもしれません(加速度からして)。
江ノ島電鉄では、吊り掛け車の1000系(1000~1200)と、VVVF車の新500との連結は、普通に見られます。小田急の例もそうですが、回生ブレーキや発電ブレーキの指令が、吊り掛け車側から出せるかがポイントになるのでしょうか。
また、小田急の件の編成は、新宿で折り返し、小田原行き急行に充当されたとあります。
失礼いたします。
ワタシダ
がしました
混乱の中で、上手くすり抜けて実現しちゃった系のような気もしますが。。。
今なら無理でしょうが、あの時代ならやっちゃいそうだなとは思いますね。
ワタシダ
がしました
確かに某部会報で報告され、すでに吊掛運行終了から1週間後だったこともあり、当時でもけっこうな驚きでした。部会報は白黒コピーでしたがなんか8000と戸袋ルーバーのある4000の併結写真を見たような気もしましたが、どうだったかなぁ。スマホ無い時代でも何はなくてもカメラを常時持っていたひと居たからなぁ。
確か小田原からの上り急行が故障し、故障編成に増結予定だった8000に急遽海老名留置中の4000を連結、本厚木から新宿まで運行して折返しウヤで大野入庫、だった気がしますが、だいぶ時間経ってわすれましたね。
これ謎が多くて、HSCは適合するとしても、旧4000と8000の併結試験は一度でもあったのか、8000側は低加速SW扱いだったのか、もし折返しも運用したら分割放送SWは機能したのか、とかとか。
そのときすでに運用していた高性能化4000とブレーキ装置まわりは同じなので併結試験は不要としたのでしょうかね。
朝ラッシュ終盤という一番車両が出払っている時間帯であったとはいえ、よくこれ許可出たものだと思います。
ワタシダ
がしました
初代4000形未更新車と8000形の併結、やはり実際に行われていたのですね。
急に他形式と併結させるのもリスキーですし、もしかすると過去に併結試験をやったことがあるのかもしれませんね。
そう古さを感じさせない8000形も色々な過去があったんだなと思います(笑)
ワタシダ
がしました