小田急の各駅停車、10両が増えてきたとはいっても、まだまだ8両が主流となっています。
固定編成化が進んだことで最近は少なくなりましたが、以前は4両を2本繋いだ8両が主流となっていました。
さて、4両の代表的な形式といえば、初めて量産冷房車として登場した5000形です。
急行用として登場した5000形ですが、2本繋いで8両で走ったことはあるのでしょうか。
残念ながら、各停用の8両として見た場合、その組成による定期運用はありませんでした。
突発で走った可能性は排除できないので、存在自体の否定はできません。
しかし、5000形の8両は存在しなかったのかという視点で見ると、そんなことはありません。
昔は8両の急行が多く走っており、4両を2本繋いで走っていたのです。
同形式のみの8両と限定はされていませんでしたが、結果的に同形式となることはもちろんありました。
5000形だけで構成された8両、晩年の使われ方を見ると想像しにくいですね。
10両化が進む前には、そんな8両も存在していたのです。
固定編成化が進むと、やがて併結自体がさらに減っていくのでしょう。
小田急の発展による結果ですが、少々寂しくも感じますね。
固定編成化が進んだことで最近は少なくなりましたが、以前は4両を2本繋いだ8両が主流となっていました。
さて、4両の代表的な形式といえば、初めて量産冷房車として登場した5000形です。
急行用として登場した5000形ですが、2本繋いで8両で走ったことはあるのでしょうか。
残念ながら、各停用の8両として見た場合、その組成による定期運用はありませんでした。
突発で走った可能性は排除できないので、存在自体の否定はできません。
しかし、5000形の8両は存在しなかったのかという視点で見ると、そんなことはありません。
昔は8両の急行が多く走っており、4両を2本繋いで走っていたのです。
同形式のみの8両と限定はされていませんでしたが、結果的に同形式となることはもちろんありました。
5000形だけで構成された8両、晩年の使われ方を見ると想像しにくいですね。
10両化が進む前には、そんな8両も存在していたのです。
固定編成化が進むと、やがて併結自体がさらに減っていくのでしょう。
小田急の発展による結果ですが、少々寂しくも感じますね。
コメント
コメント一覧 (9)
ワタシダ
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昭和末期、バブル全盛で残業も多く、シラフで乗ることが多かったです。
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8000型も2004年以前は4+4の運用があったし、9000型は引退するまで残っていました。
おそらく5000型は急行利用に使いやすいから4+4の8両は少なかったと思います。
同時に小田急は各停に高性能車両を回して早く退避させる様な運行が多いから加速が悪い5000型は各停で使うにはあまり良くなかったと思います。
因みに5200型は江ノ島線や6両各停によく使われたのは高加速と高速の双方で使える事が大きかったと思います。
9000型も4両編成はオールMなので阪神のジェットカーみたいな使い方が出来たので4+4の8両運用に回していたからな。
小田急は意外なところで阪神電車と似ている側面があると思います。
東急=阪急、京阪=京王、近鉄=東武、南海本線=京急、高野線=西武池袋線、神鉄=相鉄と例えやすいし。
ワタシダ
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