複々線化の際に地下駅となり、現在はロマンスカーも停車するようになった小田急の成城学園前。
地下化前は地上にある2面4線の駅で、向ヶ丘遊園に似た雰囲気でした。
地下化工事は、地上の線路を少しずつ減らしながら進められ、最初に下り副本線が使用停止されました。
その後上り副本線の使用停止、下り線の地下化、上り線の地下化と進んでいきました。
この時点で地下化が完了していますが、現在の下り線を島式ホームとして使っており、まだ複線の状態でした。
写真はその頃のもので、現在の下り急行線を上りとして使っていました。
車両はまだ4両だったワイドドア車です。
その後上りが切り替えられ、仮設だった下りホームを整備した後、現在のような姿になりました。
限られた土地の中で少しずつ線路を動かし、地道に地下化を進めていったことが分かりますね。
当時の光景を思い出すと、現在の姿はまるで別の駅のようです。
地下化前は地上にある2面4線の駅で、向ヶ丘遊園に似た雰囲気でした。
地下化工事は、地上の線路を少しずつ減らしながら進められ、最初に下り副本線が使用停止されました。
その後上り副本線の使用停止、下り線の地下化、上り線の地下化と進んでいきました。
この時点で地下化が完了していますが、現在の下り線を島式ホームとして使っており、まだ複線の状態でした。
写真はその頃のもので、現在の下り急行線を上りとして使っていました。
車両はまだ4両だったワイドドア車です。
その後上りが切り替えられ、仮設だった下りホームを整備した後、現在のような姿になりました。
限られた土地の中で少しずつ線路を動かし、地道に地下化を進めていったことが分かりますね。
当時の光景を思い出すと、現在の姿はまるで別の駅のようです。
コメント
コメント一覧 (1)
成城は若干丘の上にあったため、もともと駅全体が少し地盤より下がってたので法面分と植栽分鉄道敷地に幅があり、ほぼもともとの小田急用地だけで施工できたことが超一等地で派手な買収不要で幸いしましたね。おまけにどうしても必要な駅脇の踏切近辺の土地は東側山側にあった成城パンは各停8両化の際の安全側線移動時に買収済で、かつ西側海側にあったガソリンスタンドが早めに買収できたことで工事ヤードとして機能したので、難工事ながら全体的に円滑に進んだ感じでした。それでも上り線が棒線時は祖師ヶ谷大蔵に通過線を仮設するなどギリギリのダイヤ編成で本当に綱渡りのダイヤでしたわな。
地上時代は成城1号踏切の渋滞が武蔵工大付あたりまで延びてバスも大変でしたが、地下化したときはきれいすっきり渋滞がなくなり感動したものです。
工事前に明正小学校であった説明会で某野党が賛同しかねる反対運動繰り広げていたことが学生時分の記憶として鮮明です。
駅東側に渡り線があったことも、徐々に忘れられていきそうです。
ワタシダ
がしました