登場時も、高性能化後も、足回りは流用品だった小田急4000形。
1985年から高性能化と冷房化が行われたのですが、またしても主電動機は流用品で、同時期に廃車となった2400形から発生したものでした。
その2400形は全車が解体され、残念ながら現存しません。
他社への譲渡もありませんでしたが、車両の特殊性に加え、そもそも主電動機を外されてしまったことも理由にあるように思います。
そこで気になったのが、どの程度が4000形に流用されたのかです。
4両編成だった2400形は全部で29編成で、合計116両在籍していました。
2M2Tだったので、M車は58両だったことになります。
対する高性能化後の4000形ですが、4両が8編成、6両が10編成となっていました。
4両が2M2T、6両が4M2Tなので、M車は56両です。
つまり、ほとんどが4000形に流用されたことになるのです。
余りはたったの2両分で、これも予備品として残されていたら、全てが流用されたことになるかもしれません。
2400形は最後に1編成だけが予備車として残されましたが、これは唯一主電動機が余った編成だったからということになるのでしょう。
思っていた以上にほとんどが流用されていて、感心してしまいました。
1985年から高性能化と冷房化が行われたのですが、またしても主電動機は流用品で、同時期に廃車となった2400形から発生したものでした。
その2400形は全車が解体され、残念ながら現存しません。
他社への譲渡もありませんでしたが、車両の特殊性に加え、そもそも主電動機を外されてしまったことも理由にあるように思います。
そこで気になったのが、どの程度が4000形に流用されたのかです。
4両編成だった2400形は全部で29編成で、合計116両在籍していました。
2M2Tだったので、M車は58両だったことになります。
対する高性能化後の4000形ですが、4両が8編成、6両が10編成となっていました。
4両が2M2T、6両が4M2Tなので、M車は56両です。
つまり、ほとんどが4000形に流用されたことになるのです。
余りはたったの2両分で、これも予備品として残されていたら、全てが流用されたことになるかもしれません。
2400形は最後に1編成だけが予備車として残されましたが、これは唯一主電動機が余った編成だったからということになるのでしょう。
思っていた以上にほとんどが流用されていて、感心してしまいました。
コメント
コメント一覧 (3)
記憶が曖昧ですが、3両固定の乗務員室は薄紫色(または薄いピンク色)だったかと。
久しぶりに子供の時に撮影した写真を見てみます。
ワタシダ
がしました
そういえば、当時の趣味誌等では「流用する電動機容量の関係で電制なし」という説明でしたがどうもここ微妙に腑に落ちないです。2400は電制ありで、5000の電動機とは絶縁耐力強化くらいの差でほぼ同型。実は電動機の問題ではなく、単に4000の制御器を流用したからが主要因な気がしています。
内部事情はよくわかりませんが、4000形は資産帳簿上の辻褄を合わせるために存在した形式な気がしてなりません。もともとせっかく更新したHB車がもったいないから機器流用したのが発端でしょうが、
実際は更新した機器類はHB車からほとんど流用されておらず、
1980年代になって廃車しようにも5連化増備車が償却残で廃車にできず、
じゃあ仕方ないから中途半端に実行した2400形の車体修理の何らかの履歴を4000形のどこかに引き継いで更新だ!
のような気もしますがどうなんでしょうねえ?(電動機供出せず最後まで残った2400が未更新車でしたし)
銀行屋の意向に現場が苦労したってことじゃないかと思わせるフシがあります。
後から言うことですが、結局、帳簿上はともかく電動機以外全部が新品になった4000形、わずか32両のHB車の償却残を帳簿上合わせるくらいなら、最初から5000形の初期車として製造していたほうが素直だった気がします。
鉄道趣味としては面白い形式でしたけどね。
ワタシダ
がしました
ワタシダ
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