晩年は箱根登山線への乗り入れが解禁され、活躍の幅が広がった小田急2600形。
前の6両として組成され、10両の急行として走る機会が多くありました。
急行として走る機会が多く見られた2600形ですが、本来は各停用として登場した車両で、それは晩年に限ったことです。
併結運転も1983年までは行われておらず、制限された運用で使われていました。
10両の列車が増加したことで、1983年に併結運転が解禁されたのですが、他の6両にはない2600形だけの制限が存在しました。
それは逆10両の組成で、小田原方に4両、新宿方に6両の編成です。
理由は2600形の車種構成で、小田原方に制御車と不随車が続くためでした。
小田急は一部の形式を除いて、先頭車が制御車というのが標準ですから、中間に非電動車が3両続くことを避けたのでしょう。
写真を見ても分かるとおり、手前の2両が非電動車となっていました。
2600形が併結運転を開始した頃は、既に逆10両が少なくなっていた時期ではありますが、この制限は意外と使いにくかったことでしょう。
前の6両として組成され、10両の急行として走る機会が多くありました。
急行として走る機会が多く見られた2600形ですが、本来は各停用として登場した車両で、それは晩年に限ったことです。
併結運転も1983年までは行われておらず、制限された運用で使われていました。
10両の列車が増加したことで、1983年に併結運転が解禁されたのですが、他の6両にはない2600形だけの制限が存在しました。
それは逆10両の組成で、小田原方に4両、新宿方に6両の編成です。
理由は2600形の車種構成で、小田原方に制御車と不随車が続くためでした。
小田急は一部の形式を除いて、先頭車が制御車というのが標準ですから、中間に非電動車が3両続くことを避けたのでしょう。
写真を見ても分かるとおり、手前の2両が非電動車となっていました。
2600形が併結運転を開始した頃は、既に逆10両が少なくなっていた時期ではありますが、この制限は意外と使いにくかったことでしょう。
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