小田急初のステンレスカーとして、1988年に運行を開始した小田急1000形。
ワイドドア車の登場等、試行錯誤が繰り返された形式ですが、小田急で初めて10両固定編成が登場した形式でもあります。
それまでの小田急は、分割併合を行っていることもあり、1編成は6両までとなっていました。
東京メトロ千代田線との直通運転においても、6000系が10両固定編成になっているのに対し、9000形は4両と6両を繋いで10両にしていたのです。
1000形は昭和の終わりから平成にかけて増備が続いていきますが、ラッシュ時の混雑は酷くなる一方でした。
複々線化工事が始まってはいましたが、完成までは長い年月がかかることが予想され、短期的な対策が急務となっていました。
そこで登場したのが、1000形の10両固定編成でした。
中間に入る運転席部分をなくすことで、少しでも収容人数を増やそうと考えたのです。
実際にどの程度効果があったのかは分かりませんが、複々線化がなかなか進まない中、できることをやろうと頑張っていたのが、平成初期の小田急でした。
同様の流れは他形式にも及び、2600形の8両固定編成化や、1000形と2000形に8両固定編成が登場することとなりました。
近郊区間の8両化を推進し、輸送力の増強を図っていったのです。
現在の小田急は10両固定編成化が進んでいますが、その元祖となったのが1000形だったのです。
1形式に4パターンの両数があるのは、過去から現在まで1000形だけとなっており、この形式が過渡期の小田急を支えてきた証といえるでしょう。
ワイドドア車の登場等、試行錯誤が繰り返された形式ですが、小田急で初めて10両固定編成が登場した形式でもあります。
それまでの小田急は、分割併合を行っていることもあり、1編成は6両までとなっていました。
東京メトロ千代田線との直通運転においても、6000系が10両固定編成になっているのに対し、9000形は4両と6両を繋いで10両にしていたのです。
1000形は昭和の終わりから平成にかけて増備が続いていきますが、ラッシュ時の混雑は酷くなる一方でした。
複々線化工事が始まってはいましたが、完成までは長い年月がかかることが予想され、短期的な対策が急務となっていました。
そこで登場したのが、1000形の10両固定編成でした。
中間に入る運転席部分をなくすことで、少しでも収容人数を増やそうと考えたのです。
実際にどの程度効果があったのかは分かりませんが、複々線化がなかなか進まない中、できることをやろうと頑張っていたのが、平成初期の小田急でした。
同様の流れは他形式にも及び、2600形の8両固定編成化や、1000形と2000形に8両固定編成が登場することとなりました。
近郊区間の8両化を推進し、輸送力の増強を図っていったのです。
現在の小田急は10両固定編成化が進んでいますが、その元祖となったのが1000形だったのです。
1形式に4パターンの両数があるのは、過去から現在まで1000形だけとなっており、この形式が過渡期の小田急を支えてきた証といえるでしょう。
コメント
コメント一覧 (5)
ワタシダ
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※1の人は普段から頓珍漢なコメントばかり投稿しているので、反応するだけ糠に釘ですよ。
都内区間の各駅停車が日中に10本も走っていたって話は聞いたことが無いですし、新宿~向ヶ丘遊園無待避の各駅停車を日中に設定したことは無いはずです。
ワタシダ
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初代4000形は3両,4両,5両,6両とやはり4種類の編成長が存在したようです。
ワタシダ
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待避の無い各駅停車がもし運転されていたら混雑していたと思います。
何かの間違いではないでしょうか。
ワタシダ
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ワタシダ
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