地下鉄千代田線への直通用として登場し、晩年は地上専用車として活躍した小田急9000形。
特徴的なスタイルは人気があり、1両が現在も保存されています。
1972年に営業を開始した9000形ですが、当初は千代田線が代々木上原まで到達しておらず、地上を走っていました。
登場から少し経った1976年になり、ようやく直通用の機器が設置され、1978年に千代田線への直通が開始されたのです。
既に登場から6年が経過していました。
その後しばらくは動きがありませんでしたが、1988年には後継となる1000形が登場し、1989年に一部の運用が置き換えられました。
そして、1990年のダイヤ改正で9000形は直通運用から撤退しました。
1988年には車体修理が開始されていたので、短期間ながら施行後の車両が直通する光景も見られました。
9000形が千代田線に直通した期間は、約12年と短いものでした。
地上専用車となった後も、引退前には東京メトロ6000系と並んで展示される等、元祖直通車としてのイメージは強く残っていました。
しかし、実際に直通していた期間はかなり短く、地上を走っていた時期のほうが長かったのです。
特徴的なスタイルは人気があり、1両が現在も保存されています。
1972年に営業を開始した9000形ですが、当初は千代田線が代々木上原まで到達しておらず、地上を走っていました。
登場から少し経った1976年になり、ようやく直通用の機器が設置され、1978年に千代田線への直通が開始されたのです。
既に登場から6年が経過していました。
その後しばらくは動きがありませんでしたが、1988年には後継となる1000形が登場し、1989年に一部の運用が置き換えられました。
そして、1990年のダイヤ改正で9000形は直通運用から撤退しました。
1988年には車体修理が開始されていたので、短期間ながら施行後の車両が直通する光景も見られました。
9000形が千代田線に直通した期間は、約12年と短いものでした。
地上専用車となった後も、引退前には東京メトロ6000系と並んで展示される等、元祖直通車としてのイメージは強く残っていました。
しかし、実際に直通していた期間はかなり短く、地上を走っていた時期のほうが長かったのです。
コメント
コメント一覧 (5)
下り直通準急は早い時間(上原16時24分発と記憶)に9000形の帰還となりました。いまでは当たり前に小田急の車両も往復している時間ですがね。新宿発の各停2600形とほぼ同時発車で当時では珍しい複々線での並走が見られて興奮しました。それと車掌が「これより冷房を使用します。お近くの窓が開いていたらお閉め下さいますようご協力お願いいたします」と放送し、みんな「待ってました!」と言わんがばかりに乗客同士協力して窓を閉めて回ったのもいい思い出です。でも帰りの直通準急はガラガラでしたね。
ワタシダ
がしました
しかし本記事のテーマである乗り入れ期間が12年と短かったのはなぜでしょう。9000形と同時期に登場した営団6000系は40年以上千代田線で使われ続けました。1000形に地下鉄乗り入れ対応の編成を作るのではなく乗り入れには9000形を使い続ける手もあったはずです。何か不都合があったのでしょうか。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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