ケイプアイボリーにロイヤルブルーの帯を巻く姿、現在は8000形のみに見られる小田急の標準色です。
この塗り分けについては、5000形の登場時に塗られたと思われがちですが、正確には少し違っています。
この塗装が登場する前の小田急は、黄色と紺色の塗り分けでした。
旧塗装と現在呼ばれているこの塗り分けは、元々特急車に塗られていたもので、2200形から一般車両にも採用されました。
1960年代になると、各社で明るい塗装の車両が増えてきたため、小田急でも塗装を変更することになりました。
この塗装変更は5000形の登場に合わせたものですが、それに先立つ1969年4月頃に2600形の2655Fが塗装変更され、新塗装第1号となったのです。
当初は幅が細い帯の案もあったようですが、当時としては珍しい幅が広い帯を採用し、小田急のイメージを決定付けるものとなりました。
その年の秋には5000形が入線し、従来車の塗り替えも順次進められていきました。
小田急における新塗装の元祖は、5000形ではなく2600形でした。
塗装変更は似合わない姿になることが多いように思いますが、小田急顔にはこの塗り分けがとても似合っていました。
この塗り分けについては、5000形の登場時に塗られたと思われがちですが、正確には少し違っています。
この塗装が登場する前の小田急は、黄色と紺色の塗り分けでした。
旧塗装と現在呼ばれているこの塗り分けは、元々特急車に塗られていたもので、2200形から一般車両にも採用されました。
1960年代になると、各社で明るい塗装の車両が増えてきたため、小田急でも塗装を変更することになりました。
この塗装変更は5000形の登場に合わせたものですが、それに先立つ1969年4月頃に2600形の2655Fが塗装変更され、新塗装第1号となったのです。
当初は幅が細い帯の案もあったようですが、当時としては珍しい幅が広い帯を採用し、小田急のイメージを決定付けるものとなりました。
その年の秋には5000形が入線し、従来車の塗り替えも順次進められていきました。
小田急における新塗装の元祖は、5000形ではなく2600形でした。
塗装変更は似合わない姿になることが多いように思いますが、小田急顔にはこの塗り分けがとても似合っていました。
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