小田急で最後に4両が製造された形式となり、現在も17編成の4両が在籍する1000形。
4両単独で使われる機会は少なくなり、多くが8両や10両に組成されています。
1000形は東京メトロ千代田線に直通する形式として製造され、4両と6両を組み合わせた10両で運転されていました。
しかし、最初に登場したのは4両編成ばかりで、これらを2本組み合わせることで、近郊区間における各停の8両化が行われました。
登場から間もない頃の1000形は、4両単独で小田原線の末端区間や江ノ島線を走ったり、8両の各停や10両で地下鉄に直通するのが主な使われ方でした。
その後、4両単独で走る列車の減少に合わせ、線内運用でも10両の新宿方に繋がる機会が増えていきますが、多くは8両の各停と地下鉄への直通に変わらず使われていました。
変化が生じたのは3000形に8両編成が登場したタイミングで、8両を組んでいた編成を3000形に置き換え、その4両で4000形や9000形を置き換えていきました。
8両を組む編成はほとんど見られなくなり、ほとんどが10両の新宿方に組成されるか、その運用に絡んで小田原線の末端区間で4両単独で走るようになりました。
変化が少なかった地下鉄直通用の編成についても、4000形の登場で地上専用となり、他の1000形と同じような使われ方となりました。
その後の変化としては、箱根登山線内用に4編成が専用編成となり、2編成の先頭車がリニューアルで中間車に改造されました。
新しい4両ということで重宝される反面、現在は過剰になってきてしまい、中間車に改造される編成も出てきています。
1000形の後半から8両や10両の固定編成化が始まったので、1000形は変化が激しい過渡期の形式といえるでしょう。
4両単独で使われる機会は少なくなり、多くが8両や10両に組成されています。
1000形は東京メトロ千代田線に直通する形式として製造され、4両と6両を組み合わせた10両で運転されていました。
しかし、最初に登場したのは4両編成ばかりで、これらを2本組み合わせることで、近郊区間における各停の8両化が行われました。
登場から間もない頃の1000形は、4両単独で小田原線の末端区間や江ノ島線を走ったり、8両の各停や10両で地下鉄に直通するのが主な使われ方でした。
その後、4両単独で走る列車の減少に合わせ、線内運用でも10両の新宿方に繋がる機会が増えていきますが、多くは8両の各停と地下鉄への直通に変わらず使われていました。
変化が生じたのは3000形に8両編成が登場したタイミングで、8両を組んでいた編成を3000形に置き換え、その4両で4000形や9000形を置き換えていきました。
8両を組む編成はほとんど見られなくなり、ほとんどが10両の新宿方に組成されるか、その運用に絡んで小田原線の末端区間で4両単独で走るようになりました。
変化が少なかった地下鉄直通用の編成についても、4000形の登場で地上専用となり、他の1000形と同じような使われ方となりました。
その後の変化としては、箱根登山線内用に4編成が専用編成となり、2編成の先頭車がリニューアルで中間車に改造されました。
新しい4両ということで重宝される反面、現在は過剰になってきてしまい、中間車に改造される編成も出てきています。
1000形の後半から8両や10両の固定編成化が始まったので、1000形は変化が激しい過渡期の形式といえるでしょう。
コメント
コメント一覧 (1)
3087fまで行けば10両編成は12本になるし、新5000型はワイドドア置き換えと2000型10両化の際に出る余剰者の廃車に伴う本数不足を補う為に出ると思います。
1000型4+4の確定は次の改正で運用終了すると見てます。
既に各停の10両運行も順次増加しているから尚更です。
ワタシダ
がしました