小田急といえばロマンスカー、ロマンスカーといえば展望車、多くの方が小田急に持たれているイメージではないでしょうか。
しかし、現在小田急に在籍するロマンスカーで、展望車を持つのはVSEとGSEのみで、実際には4編成しかありません。

1957年にSEを登場させた小田急は、ロマンスカーのイメージを一気に確立しました。
その後継として登場したのが、小田急で初めて展望構造を採用したNSEです。
NSEは7編成も製造され、展望車の小田急というイメージを定着させました。

激化する通勤輸送に対応するため、その後しばらくはロマンスカーの製造がありませんでしたが、1980年にLSEが登場します。
LSEは4編成が製造され、NSEと合わせて11編成の展望車が小田急に在籍することになりました。

展望車の増加はこれでも終わらず、1987年にはHiSEが登場します。
HiSEも4編成が製造され、この時点で全15編成の展望車が小田急線上を走ることになりました。
この15編成という数字が、小田急に在籍した展望車の編成数として最大になっています。

しかし、この時期は長くは続かず、1996年にNSEの廃車が開始されます。
後継となるEXEは展望車ではなく、この時点からひたすら展望車は減少を続けることになります。
HiSEの最終編成が製造されたのは1989年ですから、約7年間が15編成の活躍期間となっています。

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NSEが全廃になると、展望車はLSEとHiSEのみになり、一気に8編成へと減少します。
その後、HiSEのほうが先に廃車となっていきますが、VSEが久々の展望車としてデビューします。

展望車の復活を予感させるVSEの登場でしたが、2編成が製造された後は続かず、その後はVSEとイメージを合わせたMSEが大量に製造されていきます。
小田急はブランドイメージを崩さず、上手に展望車を減らしていったのです。

最終的に展望車はLSEとVSEの4編成のみとなり、現在はLSEがGSEに交代したものの、編成数は変わらずに4編成となっています。
この4編成という数字は、午前中に下る観光を主目的とした列車の本数に合わせてあり、必要最低限の編成数を残しつつ、上手く日常利用向けの車両を増やしたといえます。

全体の割合から見ると、かなり少なくなった小田急の展望車。
それでも、展望車はロマンスカーのイメージリーダーとして、今日も小田急のブランドイメージを高めています。