2004年6月5日に行われた、小田急2600形のさよなら運転。
引退を記念して行われたイベントに合わせたもので、唐木田から開成までヘッドマークを付けて運転されました。
さよなら運転にはよくあることですが、当日の運転士は鉄の方で、ファンサービスをしながらの運転でした。
栗平の近くを通過する際には、前照灯が減光状態となっており、あまり見られない両側のライトが点灯した状態でした。
通過時には警笛を鳴らしていたとの声も多く残っています。
開成でのイベントが終わると、その日のうちに相模大野まで回送されました。
全てが終わり入庫する際、長く警笛を鳴らしていたことを覚えています。
感動的なさよなら運転でした。
当日の沿線は多くの撮影者で賑わいましたが、トラブルがあったという話を聞いた記憶がありません。
沢山の方がいても、マナーを守って撮影していたように思います。
今このような運転があったらどうなるのか、想像すると少し怖くなります。
引退から約15年、いったいなぜこうなってしまったのだろうと、考えてもその答えは出ません。
引退を記念して行われたイベントに合わせたもので、唐木田から開成までヘッドマークを付けて運転されました。
さよなら運転にはよくあることですが、当日の運転士は鉄の方で、ファンサービスをしながらの運転でした。
栗平の近くを通過する際には、前照灯が減光状態となっており、あまり見られない両側のライトが点灯した状態でした。
通過時には警笛を鳴らしていたとの声も多く残っています。
開成でのイベントが終わると、その日のうちに相模大野まで回送されました。
全てが終わり入庫する際、長く警笛を鳴らしていたことを覚えています。
感動的なさよなら運転でした。
当日の沿線は多くの撮影者で賑わいましたが、トラブルがあったという話を聞いた記憶がありません。
沢山の方がいても、マナーを守って撮影していたように思います。
今このような運転があったらどうなるのか、想像すると少し怖くなります。
引退から約15年、いったいなぜこうなってしまったのだろうと、考えてもその答えは出ません。
コメント
コメント一覧 (1)
私が自分で形式消滅前の最終運転列車を撮影したのは2400形の海老名展示から大野への回送が最後でしたが、そのとき座間駅でカメラを構えていたのは私ひとり。
海老名ー大野間という僅かな運転区間、上り方向はめぼしい撮影地もないことからおそらく10名も撮影しなかったんじゃないかな。趣味界も平和でした。
いまは日常だけを楽しむようにしていますわ。。。
ワタシダ
がしました