1次試作車を除くと、全35編成が在籍した東京メトロの6000系。
更新で各編成が様々な仕様に変化し、個性的な編成ばかりとなりました。
その6000系において、製造時に大きな仕様変更が発生したのが、側窓が1枚下降窓に変更された4次量産車です。
8000系の設計が取り入れられたこのグループは、第22編成からが該当し、前面はほぼそのままながら見た目の印象がだいぶスッキリしました。
さて、この4次量産車と、続く5次量産車である、第22編成から第32編成には面白いエピソードがありました。
第22編成以降の6000系は、それまでの車両とは異なり、車内にはラインデリアが設置され、冷房用のダクトが設けられました。
しかし、涼しく快適な冷房車に見せておいて、屋根上には冷房装置が搭載されておらず、準備工事のみだったのです。
本来冷房装置が載る位置にはベンチレーターが二つあるだけで、車内に涼しい風は吹きませんでした。
1988年に冷房改造が開始されるまではそのような状況で、ニセ冷房車として活躍をしていました。
冷房化が容易な構造、要するに冷房準備車となっていたので、改造はスムーズに進みました。
こうして冷房車となっていった6000系は、完全な非冷房車として登場したグループも含め、全車が冷房化されました。
今では考えられないようなことですが、当時は色々と大変だったのでしょうね。
更新で各編成が様々な仕様に変化し、個性的な編成ばかりとなりました。
その6000系において、製造時に大きな仕様変更が発生したのが、側窓が1枚下降窓に変更された4次量産車です。
8000系の設計が取り入れられたこのグループは、第22編成からが該当し、前面はほぼそのままながら見た目の印象がだいぶスッキリしました。
さて、この4次量産車と、続く5次量産車である、第22編成から第32編成には面白いエピソードがありました。
第22編成以降の6000系は、それまでの車両とは異なり、車内にはラインデリアが設置され、冷房用のダクトが設けられました。
しかし、涼しく快適な冷房車に見せておいて、屋根上には冷房装置が搭載されておらず、準備工事のみだったのです。
本来冷房装置が載る位置にはベンチレーターが二つあるだけで、車内に涼しい風は吹きませんでした。
1988年に冷房改造が開始されるまではそのような状況で、ニセ冷房車として活躍をしていました。
冷房化が容易な構造、要するに冷房準備車となっていたので、改造はスムーズに進みました。
こうして冷房車となっていった6000系は、完全な非冷房車として登場したグループも含め、全車が冷房化されました。
今では考えられないようなことですが、当時は色々と大変だったのでしょうね。
コメント
コメント一覧 (3)
当時の代々木上原の乗り継ぎ時は、乗降ドアを開けて(回送は除く)冷暖房スイッチを切で渡す、のが原則。
6000が、小田急線やJR常磐緩行に入ると、当然のように夏場は苦情の嵐で。
結局、トンネル冷房を諦めて車両冷房に切り替えた・・・。
ワタシダ
がしました
ワタシダ
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