長年の工事が終わり、多くの列車が行き交うようになった小田急の複々線区間。
地下に潜る場所もありますが、多くは高架を走る区間となっています。
その複々線区間の中で、本格的な工事が始まる前に、先行して高架化されていた区間がありました。
千歳船橋から祖師ヶ谷大蔵がその区間で、1971年7月に完成しました。
この区間が先行して高架化されたのには理由があり、環状8号線と小田急の線路が交差する必要があったためです。
工事は1969年11月に始まり、かなり短期間で完了しています。
短期間で工事が終わったのは、早期に環状8号線を開通させるため、在来線の南側に直接高架橋を建設したためです。
元々は地上の線路を一度仮線に移し、在来線があった位置に高架橋を建設する予定だったようですが、工事を早く終わらせるために、このような方法となりました。
複々線化前は、地上の駅を出るとすぐにカーブがあり、25‰の勾配で地上と高架が結ばれていました。
現在はこの区間も高架複々線の一部となっていますが、高架橋自体は当時のものがそのまま使われています。
複々線化の際に見かけ上は分かりにくくなりましたが、半分は当時のままの高架橋なのです。
長い歴史を持つこの区間の高架橋。
普段は何気なく通過してしまうものですが、たまにはそんな歴史を思い出してみるのも良いかもしれませんね。
地下に潜る場所もありますが、多くは高架を走る区間となっています。
その複々線区間の中で、本格的な工事が始まる前に、先行して高架化されていた区間がありました。
千歳船橋から祖師ヶ谷大蔵がその区間で、1971年7月に完成しました。
この区間が先行して高架化されたのには理由があり、環状8号線と小田急の線路が交差する必要があったためです。
工事は1969年11月に始まり、かなり短期間で完了しています。
短期間で工事が終わったのは、早期に環状8号線を開通させるため、在来線の南側に直接高架橋を建設したためです。
元々は地上の線路を一度仮線に移し、在来線があった位置に高架橋を建設する予定だったようですが、工事を早く終わらせるために、このような方法となりました。
複々線化前は、地上の駅を出るとすぐにカーブがあり、25‰の勾配で地上と高架が結ばれていました。
現在はこの区間も高架複々線の一部となっていますが、高架橋自体は当時のものがそのまま使われています。
複々線化の際に見かけ上は分かりにくくなりましたが、半分は当時のままの高架橋なのです。
長い歴史を持つこの区間の高架橋。
普段は何気なく通過してしまうものですが、たまにはそんな歴史を思い出してみるのも良いかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (1)
わたしは都市計画説明会に何回か出ましたが、特にこの高架の脇にある山野小学校での説明会が一番荒れて、その後の有名な訴訟につながっていきました。
説明会でも、
・成城前後以外、全部高架線
・千歳船橋駅手前から地下化、千歳船橋駅を新宿方に移動
・成城から地下線にして既存高架は放棄
の3案が提示されていましたがコストや駅移動を考えると全部高架以外ありえない3択でした。
ただ、これは25パーミル程度を限界にした設計だったので選択肢に限りがありこうなったようでした。その後の車両性能向上やA-A基準での貫通路規制緩和で下北沢地下化では結局35パーミルくらいまで許容できちゃったわけで、時代がうまく噛み合えばもっと工期が短縮できたのではと、少々残念です。
ワタシダ
がしました